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在校生父母

アメリカとハンガリーの生活  2年母 秋澤 純子

 息子はアメリカ東部コネチカット州で生まれました。マンハッタンから電車で五十分。軽井沢と鎌倉が一緒になったような緑多い海沿いの町でした。夏はサマータイムで九時頃まで明るいので、会社が終わってから公園でテニスをしたりソフトボール大会をしたり、ビーチでお喋りをしたり。こんな人生を送る人々もいるのだなと羨ましく思いました。
 小学校三年の時にはハンガリー共和国に転勤し、息子はアメリカンインターナショナルスクールに通いました。学年三クラス、計五十四名が三十一か国から集まった、まさしくインターナショナルな学校でした。幼稚園から高校までで数えると五十か国に及んでいました。年一回のインターナショナルウィークでは料理や文化、遊びなどを披露し合い理解を深めます。フィナーレは民族衣装に身を包み国旗を掲げて行進です。さながらディズニーランドのイッツ ア スモールワールドのようでした。年若いうちに自国の文化について考え、世界には様々な文化や言葉を持つ人々がいることを体感できたことは、息子にとって貴重な経験になったことと思います。
 ハンガリーから西へ車で少し走るとオーストリア、どんどん行くとスイス、イタリア。家の造りも挨拶も食べ物も少しずつ変わっていきます。国境はあれども様々な国が地続きでその境目は文化が混じりあっている様を感じたことも貴重な経験になったと思います。
 インターネットの普及で画面上では瞬時に世界中に行けます。でもできれば若いうちに自分の足で外国の地に立ってみるのが良いと思います。学習院生の礼儀正しく誠実な人間性は言葉や文化を超えて通じると思います。自信を持って世界に羽ばたいて行ってほしいと思います。

H23年度 『高等科だより 126号』 より転載

高校生活で遣り残したこと 1年父 西野 義幸

 私が高校生活を送った昭和五十年代後半は、詰込教育と受験戦争の色濃く残る時代でした。授業は、大学受験を意識した予備校のような授業で、来る日も来る日も知識を詰込むといった感じでした。そのような中でも、やはり青春真只中、バンドや応援団、生徒会に学業以上にのめり込み、苦楽を共にした、かけがえのない友人を得ることが出来ました。大人になるにつれ、人は打算的になるものです。高校時代は損得抜きで付き合える「一生の友」を作る良い機会です。是非皆さんにも部活動等高校生活を通じ、心の財産となる友人を見つけて頂きたいと思います。
 さて、私自身、社会に出た後、高校生の頃もっと頑張るべきだったと後悔することは、現代史(当時受験での出題比率が低く重要視されてませんでした。)と語学の習得でした。何故なら、私は仕事の関係で、一年の半分近くを海外で過ごしていますが、ビジネスの場面では、我国の歴史を知り、相手の背景を理解し、自分の言葉で直接対話をすることが、国の垣根を越えて信頼関係を構築する上で非常に大切なこととなるからです。
 私は幸いにも二十代最後の年に、企業派遣留学生として二年間のやり直しの機会を得る事ができ、やがてこの留学が人生の転機となりました。ただ残念な事に、三十前後の「おじさん留学」では習得した語学も流暢さに欠ける点は否めません。「鉄は熱いうちに打て」といいます。若く感性豊かな高校時代に海外の文化に直接触れ、その国の歴史的背景を知り、語学を磨いていくことは人生の財産となることは間違いありません。最近、日本の若者の留学離れが進んでいると聞きますが、世界は益々小さくなってきています。高校生活に悔いを残さない為にも、勇気を胸に一歩踏み出してみては如何?

H23年度 『高等科だより 125号 より転載』

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