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在校生父母

学習院に育まれて 三年父 浅岡浩幸

 「京壱(息子の名)がいつかその生涯を終えるとき、『ああ、本当によい人生だったな』そう思えるような人生を歩んでほしい」

 高校受験という、人生初の岐路にあたり、当時よくそんな話を彼としました。

 「よい人生」を送るために彼が高校に求めたものは三つ。一年間の海外留学に行っても進級でき、それを実現している生徒がいること。次に、チューバ(楽器)を続けるために吹奏楽部があること。最後に、留学や部活動などを大学受験に煩わされることなく全うするために、併設の大学があること。それらの希望を叶えられる学校が、学習院でした。

 学習院に入学してからの彼は、歌の歌詞にあるような「後からほのぼの思うもの」ではない、まさに青春を過ごしました。

 不器用で、なかなか人に話しかけることができずにいる彼に、吹奏楽へ誘ってくれた友がいました。吹奏楽部が都のコンクールで金賞を受賞した際には、先輩や友人、後輩たちと歓喜の涙を流す喜びも味わいました。その直後、米国へ留学に旅立つ際に皆からもらった大きな日の丸の寄せ書きは、一生の宝物です。

 米国では、日本においては報道対象となるような陰の部分にも多く触れ、一回りも二回りも強くなって日本へ戻ってきました。その強さは、非英語圏の大学への進学という新たなチャレンジを促し、彼は今、新たな道を歩み出そうとしています。

 秋が深まる頃から、彼はよくこう繰り返しました。「ああ、学習院は本当によい学校だった」「こんなに楽しい期間は、人生のうちでもう二度とないんじゃないか」。
彼のこの言葉を、学習院と関係の皆様への感謝の気持ちとして伝えさせていただきます。本当にありがとうございました。




2016年度 『高等科だより 141号』 より転載

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