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国際交流

留学することの意義

高等科3年 中村勇人

 
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 私が留学をしたいと思ったそもそものきっかけは、コンピュータ/ロボットエンジニアになり、ある分野について研究をしたいという夢があったためです。またその分野で第一線の研究者になるためには、英語は避けては通れない道であると気付いたためです。日本語で得られる情報というのは、全体から見るとごくわずかであり、大多数の情報は主に英語で発信されています。これは私にとって大きな障害でした。そこで英語を効率良く学べる方法は何かと考えたとき、それは留学だと思い、アメリカへ行くことを決意しました。
 少しホームステイ先の町について説明させてください。私はアメリカのペンシルベニア州にあるエリーという町にホームステイしました。エリーは非常に寒い町で、冬はマイナス20度まで下がることもあります。エリーは五大湖のうちの1つであるエリー湖に面していることでも有名で、このエリー湖は遠浅で美しい青色をしており、またどこまでも白い砂浜が続くため、言葉では説明できないほど美しいです。初めてここを訪れたとき、その桁違いの広大さに驚きつつも、"アメリカ"を実感しました。このエリー湖は冬になると水面が凍り、その上を歩くことができます。私は実際ホストファミリーと行きましたが、360度見渡す限り白銀の世界が広がっており、そのスケールにただただ驚き、茫然としたのを覚えています。
 1年間の留学というのは本当に長いものでした。誇張ではなく、本当に様々なことを様々な人・ものから学ばせてもらいました。その中で一番心に残っていることを紹介したいと思います。
 私が通っていた学校で選択していた世界史の授業では、いつも生徒と先生を交えて自由にディスカッションをする時間があります。クラスには、アメリカ人、中国人、そして日本人の私がいて、国際的な歴史的事件、例えば世界大戦、を扱う際、生徒の考え方は国ごとに全く異なっていました。領土問題もその一つであり、実際日本と中国は尖閣諸島をめぐり衝突をしています。私は留学中色々な中国人の友人とこれについて話し合いましたが、彼らは皆、尖閣諸島は中国の領土だ、と主張します。なぜ国ごとにこうも歴史が違うのか私には納得できませんでした。歴史というのは唯一不変であるべきであり、国ごとに違って良いはずがないと思っていたからです。しかし、ふと考えてみると、様々な国の生徒が異なった意見を持っているのは、彼らが異なる解釈をしているからであり、異なる歴史を学んだからというわけではないということに気付きました。「事実というものは存在しない、あるのは解釈だけだ。」 これはドイツの学者の言葉ですが、改めてなるほど、そういうことなのか、と実感しました。私たちは他の人の考え、すなわち解釈の仕方を理解しようとしなければ、分かり合えないのだと思います。
 私は現在、アメリカの大学に進学し、夢をかなえるため努力をしていますが、その中で様々な人と衝突するだろうと思います。そうしたときは常に、この留学で培った経験をいかし、乗り越えていきたいです。
 最後に、いまここに私がいるのは、紛れもなく留学を支援してくれた両親や学校のお陰であり、心から感謝しています。もし留学をしたいと考えているのなら、是非挑戦してみてください。海の向こうには私たちの知らない世界が広がっています。


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