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国際交流

Student Global Leadership Institute 2016に生徒を引率して

高等科教諭 米山 周作

 学習院高等科は2012年よりStudent Global Leadership Institute (以下SGLI) に参加しており、今年の参加で5回目となる。米国ハワイ州の名門プナホウ・スクールによって、2010年に米・中2ヶ国の高校生15名で始まったSGLIは、年々その規模が拡大し、2016年は11ヶ国26校、80名を超える一大国際会議となった。毎年1つのテーマが設定され、1学期はそのテーマに基づくリサーチを行い、夏休み中にプナホウ・スクールにおいて2週間の合宿に参加、2・3学期にそれまで学んだことを活かして何らかの行動を起こすことが求められる通年プログラムである。2016年は、選抜された3名の合宿前半5日間をHamish Forrester先生が引率し、私が後半の10日間を引率した。
 参加11ヶ国26校とは、米国9校、日本5校、中国4校、デンマーク、英国、インド、ヨルダン、ニュージーランド、韓国、スウェーデン、スイスより各1校である。アフリカ、南米からの参加がなく、米・日・中3ヶ国からの参加が多いことについては、「グローバル」を謳う国際会議として問題もあるだろうが、それも生徒達にとっては1つの学びである。
 教員としてのSGLIへの参加は、視察を含め3回目であるが、その都度感じさせられるのが日本の高校生達の「謙虚さ」である。SGLIに参加する欧米の生徒達は各校の「優等生」であるが、「自分自身の主張ばかりする」「他者に対して "good listener" になれない」というのが欧米の先生方の日頃の悩みのようである。私見として、「日本の生徒達は "too good listeners" である」「グループの調和を優先して、自分の意見を持っていても必ずしも主張はしない」といった話を私がすると、理解を示す教員もいれば驚く教員もいる。日本から参加している高校生達は帰国子弟や留学経験者も多く、英語力自体に問題はないはずの生徒達であるが、ディスカッションには入れずに、発言のタイミングを失っている場面を数多く見てきた。生徒達に意見がないわけではなく、欧米の生徒達に決して負けない深い洞察を持っているだけに、とても歯がゆく感じられる。今年の高等科生にも、「悔しい!とにかく発言すれば良かった!」と振り返っている場面があったが、こうした経験こそがとても重要なのだと思う。
 昨今、高校生向けの国際交流プログラムは数多く存在するが、SGLIはいわゆる語学研修ではない。参加生徒達は2週間に渡って、英語を用いてリサーチ、グループワーク、フィールドワーク、ディスカッション、プレゼンテーション等を他国の生徒達と共に行い、帰国後も活動を求められる点において、他に類を見ないプログラムである。オバマ前米国大統領を始めとする著名な政治家や実業家を輩出した学校だけあり、その教育環境や人的ネットワークには驚かされるばかりで、生徒達だけでなく引率教員にとっても非常に刺激となるプログラムである。今後もSGLIを通して得た繋がりを大切にし、吸収すべきことは吸収し、発信すべきことは発信していきたい。共に日本から参加している女子部、ICU、慶応志木、同志社とも意見交換・情報交換を重ねつつ、SGLIを最大限に活用した学びを、3名の参加生徒だけでなく高等科全体で展開する方法を引き続き考えていきたい。

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SGLI(Student Global Leadership Institute)の概要と感想

高等科3年 塩野 博之
SGLIの概要
 SGLI とは、Student Global Leadership Instituteの略称であり、通年制のプログラムです。その理念は名前が示す通り、次世代のグローバルリーダーの育成です。2010年から毎年、現場研修としてオバマ前大統領の母校であるプナホウスクールで7月の中旬から末まで約二週間行われていて、年ごとに異なるトピックについて話し合ったり学んだりします。去年のテーマは、"Conservation"「保護、保全」でした。非常に国際色豊かなプログラムで、僕たちの年は、様々な国と地域から 26校、82人が参加しました。どの高校もその国を代表するような所謂エリート校ばかりです。
 SGLI の全体的な流れですが、まず2月くらいに選考会などを通じて、各校から3人程度が代表として選ばれます。5月、選ばれた代表がプロフィールや自己紹介ビデオというものを作成し、プログラム専用のウェブサイトに投稿します。6月に、これはおそらく日本だけですが、顔合わせとして関東の参加校、ICU、慶応志木、学習院高等科、そして女子部と模擬プレゼンを行い、お互いのフィードバックを交換します。そして7月に現場研修に参加し、帰国後はそれぞれ研修中に決めたプロジェクトを達成すべく活動します。
 現地では、生徒同士のディスカッションやプレゼンテーションのみならず、様々なアクティビティが用意され、そしてゲストスピーカーが沢山いらっしゃいました。プナホウスクール卒業生でイェール大学卒業生でもあるアレン村林氏、ハワイ大学海洋学の教授、アメリカの国防施設で働く職員などを始めとする非常に魅力的な沢山のスピーカーが、僕たちの学びを精力的にサポートしてくださいました。さらに、ハワイの伝統的な民謡を朝まだ暗い中山に登って唄ったり、外来種の海草をとるボランティアの手伝い、そして「リーダーシップとは何か?」について言葉を使わず絵だけを用いて表現するグループワークなどを始め、ユニークなアクティビティを通じて色々な側面から「保護・保全」そして「リーダーとはどうあるべきか?」を考えました。またそれぞれの特技を発表するタレントショー、さらにフリータイムには各々ワイキキビーチやショッピングモールに出かけ、その他の人もゲームルームでトランプや卓球、団欒などを通じて、学びのみならず、生徒間同士の交流も深めました。


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感想
 僕は英語圏在住の経験がなく、自分の英語力にも正直そこまで自信があるわけでもなかったため、最初はかなり不安でしたが、自分から積極的に話しかけていくうちに自然と溶け込むことが出来たように感じます。また、柔道部に所属していたため、沢山の人に関心を持ってもらえたことも、自分から話しかけやすい、行動を起こしやすい環境づくりに一役買ってくれたと思います。特にタレントショーで前もって作ってあったプログラムに突然割り込んで、腕立て伏せがどれだけ多くできるかを参加者と競い合ったことは、今でも良い思い出として鮮明に残っています。
 また、各国の未来のエリート達との交流は非常に刺激的でした。普段は冗談を飛ばしあったりする仲の子も、時には本音でそれぞれの国の政治体制や国家間関係について語り合ったりする中で、彼らが如何に日本のことに関心を寄せているかを強く実感出来たと共に、日本人でありながら、自分の日本に対する理解の浅はかさに、正直戸惑いと悔しさを覚えました。またじっくり語り合ったことで仲良くなった友達も多くいて、プログラムが終了した今でも、彼らと頻繁に連絡を取り合ったりしています。
最後に、SGLIに参加させてくださった学習院の先生方、英語力でコミュニケーションをサポートしてくれた工藤、テクノロジー面でバックアップしてくれた中村、引率してくださった米山先生とフォレスター先生、各校の参加者の皆さんと引率の先生方、そしてプログラムの主催者であるChai Reddy先生を始めとするプナホウスクールの先生方、改めて御礼申し上げます。最高の夏、ありがとうございました!!
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ハワイ プナホウスクール SGLI(Student Global Leadership Institute) に参加して

粟辻翔大 2016年3月高等科卒業
 上智大学総合グローバル学部進学

[1] SGLIについて
 2015年7月19日から8月1日まで、ハワイのプナホウスクールで開催されたSGLI(Student Global Leadership Institute)に参加しました。
 このプログラムの目的は国際的に活躍できるリーダーの育成であり、2週間のハワイ研修では様々なグループワークやディスカッションなどを行います。今年度は世界10ケ国(アメリカ、中国、デンマーク、イギリス、インド、日本、ヨルダン、ニュージーランド、韓国、スウェーデン)から25の学校、約90名の高校生が参加しました。

7/19(日)7/20(月)7/21(火)7/22(水)7/23(木)7/24(金)7/25(土)
到着日
Welcome meeting
Intro Activities
Equity game 等
Ice-breakers
Asia Pacific Center for
Security Studies訪問
講演会
Community Night 等
情報交換
メンターと会う
講演会
Equity Game
Scavenger Hunt
Student Social Activity
7/26(日)7/27(月)7/28(火)7/29(水)7/30(木)7/31(金)8/1(土)
自由行動日の出の見学
マングローブ伐採体験
ボランティア体験(1)ボランティア体験(2)最終プレゼン準備最終プレゼン
パーティー
帰国日


 SGLIでは毎年1つテーマが設定されます。今年のテーマは"Equity"(平等)でした。ハワイでは、世界各国が抱える平等を巡り世界10か国の高校生と議論や情報交換を行い、そして帰国後学んだことをどうすれば自分の国で還元できるかを話し合いました。 平等と一言でいっても国ごとに抱えている問題は異なります。高等科含め、多くの参加校が自分たちに身近なテーマということで"教育"の平等性を取り扱っていましたが、例えばスウェーデンの学校はシリアなどから来た難民のために教育の場を提供するという視点から不平等を是正しようとしたり、アメリカの学校では英語がネイティブでない移民のために英語の音声教材を配布することで教育格差を埋めようとしていました。 
 また、SGLIは全て英語で行われるため、高1から高2の1年間スペインに留学した経験はあるものの、英語圏に行くのは初めてだったため最初は英語についていくのが大変でした。参加している高校生の大半は英語がネイティブではないのですが大半は英語圏に住んだ経験がある学生だったため英語力が非常に高く、ディスカッションなどでは苦労しましたが、大変な分言いたいことが伝わったときは達成感がありました。このようなアクティビティは大体3時くらいに終わり、その後は自由時間になります。僕は韓国の高校生やハワイの現地の高校の生徒たちと仲良くなり、自由行動では一緒にアラモアナショッピングセンターに行ったり、ワイキキビーチに行ったりとハワイを満喫しました。自由行動の日には、彼らと真珠湾に見学に行きました。彼らとはいまだにFacebookなどで連絡を取り合っています。 


[2] 帰国後、何をしたか?
 私たち高等科のチームは高等科内における留学や国際交流の機会の不平等に焦点を当てることにしました。高等科では毎年20名ほどの学生が海外留学を経験しますが、その費用は大変高額です。そのため、僕の周りにも興味はあるが費用を考えるとあきらめざるを得ないという生徒がおり、そういった生徒のために国際交流の機会を提供することを試みました。具体的には、文化祭における留学報告会の実施と平等をテーマとしたシンポジウムを行いました。まず留学報告会についてですが、僕自身が高等科の国際交流委員会という主に留学から帰国した学生と高等科に来ている留学生がいる委員会の委員長をやっていたため、国際交流委員会の文化祭の展示という形で、今年度留学から帰国した学生と高等科に来ていたフランス人留学生とスペイン人留学生に自身の留学体験についてプレゼンテーションをしてもらいました。2日間で10回ほどプレゼンテーションを行い、院長先生や学習院大学の国際社会科学部の教授の方々もいらっしゃってくださいました。 
 次にシンポジウムについてですが、ちょうど開催した11月に高等科の協定校であるアメリカのSt.Paul's SchoolのApryl Doyle先生が教員交換でいらっしゃっていたため、ご自身もアフリカ系アメリカ人であるDoyle先生にアメリカにおける黒人差別について講演していただき、続いて高等科社会科教諭の岩垂雅子先生に男子校における女性教員というテーマで講演いただきました。シンポジウムには男子部中高だけではなく、女子部の生徒も多数参加し、講演後のグループディスカッションは男子部、女子部、留学生と全部ミックスして行いました。
  今回、高等科のSGLIのチームで行った留学報告会やディスカッションなどの活動が、私たちが卒業した後も国際交流を希望する生徒のニーズに応えられるようなものとして続いてくれることを願います。 
 最後に、今回のSGLIにおいてハワイでの2週間の引率のみならず留学報告会やシンポジウムの実現に多大なご尽力とご指導をいただきましたHamish Forrester先生、本当にありがとうございました。

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留学することの意義

高等科3年 中村勇人

 
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 私が留学をしたいと思ったそもそものきっかけは、コンピュータ/ロボットエンジニアになり、ある分野について研究をしたいという夢があったためです。またその分野で第一線の研究者になるためには、英語は避けては通れない道であると気付いたためです。日本語で得られる情報というのは、全体から見るとごくわずかであり、大多数の情報は主に英語で発信されています。これは私にとって大きな障害でした。そこで英語を効率良く学べる方法は何かと考えたとき、それは留学だと思い、アメリカへ行くことを決意しました。
 少しホームステイ先の町について説明させてください。私はアメリカのペンシルベニア州にあるエリーという町にホームステイしました。エリーは非常に寒い町で、冬はマイナス20度まで下がることもあります。エリーは五大湖のうちの1つであるエリー湖に面していることでも有名で、このエリー湖は遠浅で美しい青色をしており、またどこまでも白い砂浜が続くため、言葉では説明できないほど美しいです。初めてここを訪れたとき、その桁違いの広大さに驚きつつも、"アメリカ"を実感しました。このエリー湖は冬になると水面が凍り、その上を歩くことができます。私は実際ホストファミリーと行きましたが、360度見渡す限り白銀の世界が広がっており、そのスケールにただただ驚き、茫然としたのを覚えています。
 1年間の留学というのは本当に長いものでした。誇張ではなく、本当に様々なことを様々な人・ものから学ばせてもらいました。その中で一番心に残っていることを紹介したいと思います。
 私が通っていた学校で選択していた世界史の授業では、いつも生徒と先生を交えて自由にディスカッションをする時間があります。クラスには、アメリカ人、中国人、そして日本人の私がいて、国際的な歴史的事件、例えば世界大戦、を扱う際、生徒の考え方は国ごとに全く異なっていました。領土問題もその一つであり、実際日本と中国は尖閣諸島をめぐり衝突をしています。私は留学中色々な中国人の友人とこれについて話し合いましたが、彼らは皆、尖閣諸島は中国の領土だ、と主張します。なぜ国ごとにこうも歴史が違うのか私には納得できませんでした。歴史というのは唯一不変であるべきであり、国ごとに違って良いはずがないと思っていたからです。しかし、ふと考えてみると、様々な国の生徒が異なった意見を持っているのは、彼らが異なる解釈をしているからであり、異なる歴史を学んだからというわけではないということに気付きました。「事実というものは存在しない、あるのは解釈だけだ。」 これはドイツの学者の言葉ですが、改めてなるほど、そういうことなのか、と実感しました。私たちは他の人の考え、すなわち解釈の仕方を理解しようとしなければ、分かり合えないのだと思います。
 私は現在、アメリカの大学に進学し、夢をかなえるため努力をしていますが、その中で様々な人と衝突するだろうと思います。そうしたときは常に、この留学で培った経験をいかし、乗り越えていきたいです。
 最後に、いまここに私がいるのは、紛れもなく留学を支援してくれた両親や学校のお陰であり、心から感謝しています。もし留学をしたいと考えているのなら、是非挑戦してみてください。海の向こうには私たちの知らない世界が広がっています。


何のための留学か

二年E組兼平健

「えっ、なんでタイ?」留学前僕が一番耳に、そのたびに嫌気がさしていた言葉だ。少なからずあった不安にそれらは拍車をかけた。しかし実際の留学生活はとても充実したものだった。特にタイに行きたかったわけでもないが、英語圏に行きたいというわけでもなかった。では、非英語圏(タイ)に留学する意義とは何なのか。まずは英語を日常的に使わないこと。特に、タイでは英語をほとんど話さない、話さないというより話せる人がいない。だから必然的に、未知の言語、タイ語に挑まないといけないことになる。今まで触れたことのない言語に触れることはそれだけで価値があるし、後々他人にはない自分の武器になる。何より、英語すらろくに使えない環境は自分の精神をさらにタフにしてくれる。「なんでタイ?」と言われるもう一つの理由はおそらく、タイが発展途上国だからだろう。やはり発展途上国で過ごす一年は自分にとって衝撃と刺激の毎日だった。日本では、当たり前のようなことが当たり前ではない、テキトーな警察、未熟な行政や貧富の差。だけれども、そこに住む人々は日本の人々以上に輝いていて、地域のつながりやマイペンライ精神からくる余裕はすごく魅力を感じた。最後にもし今、日常が退屈であるなら非英語圏もしくは発展途上国に留学することをお勧めしたいです。


帰国報告会スピーチ

高等科3年 相馬弘太郎

 2010年~2011年 イタリア留学

に留学私は、ドイツに住んでいる姉や実際に留学をした先輩の影響などで留学を決意しました。派遣前の私の留学に対する期待は非常に大きく、日々出発を心待ちにしていました。しかし、私の留学は最初からトラブルに当たってしまいました。本来ならば夏前にイタリアから届くはずの書類がいつまで経っても届かなかったのです。そのため、ビザを申請する事もできず、ひたすらイタリアからの書類を待つという状態が続きました。同期の仲間が次々と旅立っていく中で、彼らを見送りながら一人書類を待つというは非常にもどかしかったです。私自身も直接イタリアのロータリーとコンタクトを取ろうとしましたし、青少年交換委員会のロータリアンさんも尽力してくださったのですが、イタリアのロータリーは重い腰をいつまでも上げず、ついに10月になってしまいました。そして、ついに日本のロータリアンさんが痺れを切らし、書類を待たずにビザなしで旅立つ許可がおりました。早速飛行機を手配して、イタリアへ向けて出発したのは、10月24日のことでした。辛い時期でしたが、今ではその経験も私を大きく成長させてくれたものと思っています。そのような状況は自分ではもうどうしようもないので、焦る事はやめてそのときの生活を最大限に楽しむようにしました。その時期に読んだ本や、考えた事のおかげで、イタリアに行ってからは悩みながらも1年間楽しみ切れたと思っています。

ちなみに、最終的に現地でビザを取る事は出来ず、滞在許可書も受け取る事は出来ませんでした。ロータリーのサポートを受け、滞在許可書を特別に頂けるという話になったのですが、最後まで申請中の状態で終わってしまいました。つまり、合法的な滞在だったのかと聞かれると少し怪しいです。当時は非常にドキドキしましたが、今となってはもう笑い話です。


では、私が派遣された場所について少し説明させてもらいます。私が派遣された場所は、イタリアのサルデーニャ島という島の首都でCagliariという街でした。その街は島で1番大きな街で、海に面していて、古い城跡や建物が数多く残っている非常にきれいな街です。サルデーニャ島は、シチリア島の北西にあり、フランス領のコルシカ島のすぐ南に位置しています。有名なリゾート地であり、ハリウッドスターなどの世界有数のセレブたちもバカンスに来るような美しい海があります。真っ白な砂浜に、輝く太陽、古く美しい街並み、魅力的な女性たち、「これがサルデーニャか」と恐れ入ってしまいました。
また、Cagliariとその周辺には自分の他に留学生が7人ほどいました。彼らとは、本当に親密になり家族同然の仲となりました。アメリカ人が多く、他はカナダ人、スェーデン人、アイスランド人でした。私は唯一のアジア人でした。

 
学校の友人やホストファミリー、留学生の仲間たち。私は留学中に本当に多くの人と出会いました。様々な人々とイタリアで生活していく中で、非常に多くの事について考えさせられました。その中でも最も印象に残った事について話をさせて頂きたいと思います。

それは、日本人についての話です。
私は、海外に一人で放り出されて初めて自分が日本人であると意識しました。知らない人に出会い、1番最初に自分の国を聞かれる。すごく単純な事ですが、今までに無い体験で新鮮でした。そして、日本に興味を持ってくれた人はさらに詳しい話を聞きたがります。日本の政治体制や天皇について、また東京の人口や生活様式について様々な事を聞かれました。そのような経験を通して感じた事の一つは、 自分が如何に日本に対して無知であったかということです。日本の天皇や政治システムについて説明してくれと言われたときに、私はうまく説明できませんでした。また、東京の人口を聞かれたときにも答えられませんでした。
そして、またあるとき私が留学生仲間とカフェで話をしていたときの話です。知り合いのある可愛い女の子について話していたと思ったら、突然オバマ政権や、アイスランドの経済危機について彼らは話し始めました。彼らが特別に真面目な訳ではありません。普段は一緒にふざけた事をする友人たちです。しかし、自分たちの国について、また他の国についても意識的に知識を拡げていました。16、17の子供たちが政治や経済について自然と話しだすというのは、日本では見た事の無い光景でした。

恥ずかしい話ですが、私は今までずっと日本にいたのにも関わらず、日本について興味を持ったことはありませんでした。また、世界の他の国に対しても、意識的に知ろうとはしていませんでした。日本という国がどれほど小さくて、日本人という人々が普段どれほど自分たちの国について知らないのかということを痛感しました。
 
現在日本では、詰め込み式の受験勉強が流行しています。もちろん、それも意味のある事だと思います。しかし、それ以前に日本の歴史や政治、経済、文学など日本人として知るべき事があるのではないかと思いました。そして、この差がいずれ大きく国家の力の差として出るのではないかと思いました。

私はこのような事を肌で感じられた事に非常に感謝しています。これはまちがいなく留学したおかげで気付く事のできた事であり、今の私に、そして多くの日本人にとって必要な事でもあります。

このような大切な事に気付かせてくれる貴重な体験は、これからの私の人生の中で必ず役に立つ日が来ると思います。高校の間に1年間海外で生活をするという事は少しばかり勇気がいる事かもしれませんが、真剣に取り組めばそれで得る物は計り知れません。人として大きく成長できる機会を与えてくださった学習院には心から感謝しています。


ヨルダンに留学して

2C組  大豆田 亮



僕は一年間ヨルダンに留学をしていました。最初は行きたくなくて本当に嫌でしたが、今では行ってよかったなと思います。普通の人が行けるような国ではないので、父が働いていたことを幸運に思います。

 ヨルダンはイスラム教が根強く人々の生活の中にあります。信教の自由がありほぼ無信教に近い日本人には理解しづらいものがありますが、酒を飲むようないい加減なイスラム教徒でも必ずといっていいほどラマダン(断食)は守りますし、葬式や結婚式のスタイルもイスラム教のものです。
 
 ヨルダンはイスラエルとイラクの間に位置していていますが、これだけを聞くと危険な国に聞こえますが、非常に安全な国です。むしろ日本のほうが治安の悪い国のように感じるほどです。というのもヨルダンには他国から魅力的に見えるものが皆無なので、他国から狙われる心配がないからです。僕はこのような国ヨルダンにいました。

  ヨルダンの学校は王立で、皇太子やアメリカ大使の息子など、数々のVIPがいました。そのおかげでセキュリティーに関しては文句のつけようのないものでした。学校の授業はすべて英語で、先生の半分くらいはアメリカやカナダの出身の先生でした。先生は皆さん優しく、英語ができない僕にとても親切にしていただきました。

  一年間は本当にあっという間に過ぎていきました。僕はヨルダンが大好きです。