主なメニュー



エッセイ

1年主管 武市憲幸|「読書感想文、感想文?ん?」

 今,君たちが提出してくれた読書感想文を読んでいます.
 『69』(村上龍)の四文字ことばに驚き,夜中の3時まで読みふけってしまい,あげくの果てに授業中も机の下で広げていた君.こうした体験をこれだけで 終わらせてしまうのはオシイ.芦原すなおの『青春でんでけでけでけ』(河出文庫)にもトライしてみて下さい.
 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(サリンジャー)でホールデンの話術にハマってしまったあなた.サリンジャーの短編(個人的にはこちらの方が好きで す)を読んでみるのもいいし,キンセラの『シューレス・ジョー』(映画『フィールド・オブ・ドリームス』の原作ですね.文春文庫)はいかがでしょうか.な ぜこの本なのかは,読んでお楽しみです.
 『人間失格』に腹を立てた君,『罪と罰』に途中で挫折してしまった君,自分にフィットする本を選ぶのも「読書体験」のうちのひとつです.現在だめでも,ある日ふとその本にとりつかれてしまうこともあるので,そっと本棚の片隅にしまっておいて下さい.
 マンガの他には本など読んだことがないと豪語?する人たちには苦痛な課題だったかもしれませんが,マンガだけというのが寂しすぎます.高校時代にさまざ まな本や映画にめぐりあって下さい.授業中も含めてこれからもいろいろなものとの出会いのきっかけを作っていきたいと思っています.

2年主管 鍋山 航|「高校生の為の自宅研究」

高校の生物の授業で頻繁に登場する蛋白質,しかし一体これは何?と思っている生徒諸君も多いことだろう.アミノ酸が繋がっていて,と言われてもピンと来ない.そこで,家に居ながらPCで蛋白質を視覚化する方法を紹介する.
 RasMolというフリーのソフトがある.これは有機化合物を3次元で展開することのできる優れもののだ.まずはこれをダウンロード.http://www.openrasmol.org/にて最新のバージョンを落とした後,今度は展開するべきファイルを探す.そこで,蛋白質の世界の図書館であるPDBへ行ってみる.http://pdb.protein.osaka-u.ac.jp/pdb/で,例えば授業で習った蛋白質名を入れる.英語のスペルが分らなければ,http://www.alc.co.jp/で調べると,大抵のものは載っている.一番のお勧めはGFPという蛍光蛋白.試しにGFPと入力すると,GFP関連の世界中の論文が出現する.適当にそのうちの一つをクリックし,次画面の左端のDownload/Display Fileをクリック,次の頁の表のcomplete with coordinates&PDB&HTMLをクリックする.そして次頁先頭にあるSave full entry to diskを押すと,自分のPCにデータが落ちてくる.PC上に展開したGFPの構造は単純できっと美しい筈だ.
 蛋白質とは生物を構成している部品の一つ一つを指すがその数は膨大であり,構造も複雑である.その図書館がPDBであり,ソフトがRasMolという訳だ.操作自体とても簡単で面白いので,是非トライしてみて欲しい.

3年主管 鳥居士郎|「継続は力なり」

 恥ずかしながら,20回目ぐらいに(回数が多くて正確に憶えていないのだ)やっと,全日本弓道連盟による『錬士(指導者)』審査に,昨年合格した.当日 は早朝に家を出て,一次試験の筆記と実技をパス,午後から2次の面接と実技に進み,結果の発表が夜の7時を過ぎるという長い1日であった.
 弓道は大学で始め,卒業時は四段であったが,38年間も中断していた.3女の高校の弓道部入部をきっかけに再開し,平成3年に5段となり錬士審査の受審 資格ができた.以来,この審査に挑み続け,そして落ち続けたのである.中断をせず,あるいは10年早く再開していたらと思うことしきりである.それでもこ の年齢で合格でき,思いがけず多くの方からお祝いを頂いたのは,何よりも良き師と仲間に恵まれたおかげと心から感謝をしている.
 さて,学校では,書道・水泳・吹奏楽部等の副顧問である.鳳櫻祭の書道の作品を見るとまちがいなく私より上手い.水泳部員の水上を飛ぶような泳ぎには瞠 目するばかり,また音符の読める人は私には天才に見える.このすばらしい技量を継続して伸ばしてほしいと切に思う.現在帰宅部の人には,大学で勉強の他に 一生の愉しみと仲間を作ることを強く勧めたい.人生の豊かさと彩りに大きな違いができるはずである.
 ちなみに,昨年受けた審査の受験者は428名で合格者は15名,合格率は3.5%であった.
 目標は高く,続けよ,そしてネバーギブアップ!

○新任教諭自己紹介 |「難題」 鵜沢哲丸(化学科)

 人生学習院漬けになってしまいました.中等科に入学した当時,高等科,大学,と進学するということは想像が難しくはなかったとしても,大学院そして,まさか就職先までもが学習院になろうとは夢にも思いませんでした.
 しかし,今になって考えてみると,それは意外なことでもなんでもなく,むしろ妥当な道であったのかもしれません.小さな頃から父と離れて暮らしていた私 には,先生とは最も身近な職業であり,イメージしやすいものでした.先生という職業は,いつもひとつの選択肢でありました.しかしそれは選択肢でこそあ れ,将来の夢には程遠く,消去法での一番目の選択肢でした.というのは先生という仕事の難しさを実感していたからです.いつも授業中には「もし自分だった ら」と先生を自分に置き換えて想像していたものです.その想像の先ではいつも失敗をし,「自分には無理だからやめておけ」と忠告していました.それが忠告 も聞かずに,いつの間にやら先生になっているという訳です.しかも当の学習院で.しかしそれは忠告があったからこそ,先生になったともいえます.それはよ りチャレンジングな仕事であるともいえるからです.
 実際に教師になってみて,それを痛感しているものの,反面楽しんでいる自分がいるような気がします.それは高等科の校風がそうさせているのだと思いま す.出る杭は引っ張るといっては言い過ぎでしょうが,学生の個性を最大限に活かすための,信頼関係の上に成り立った微妙なバランス.私もその中でチャレン ジし,出っ張った人間の一人であります.良い,悪い,をいうことはできないけれども,自分で納得した生き方であることは間違いありません.そしてそれを学 生にも味わってもらいたいと思うのです.だからこそ自分が依然として「微妙な出っ張り」の実践者でありたいのです.
 さらに今度は,出っ張るばかりでなく,引っ張ったり,方向を修正したりしなければなりません.これまた難題ではありますが打ち込むことだけはしたくないものです.私が高等科から受けた恩恵を最大限に学生に伝えることができたら良いなと思います.

1年主管 岩垂雅子|「知恵くらべ」

 父母面談の折「息子が髪を茶色に染めて心配です」と打ち明けられることが少なくない.個人的な好みとしては「自然な色が一番」と思う私も,主管としては 基本的に「そういう年頃ですから・・・」となだめる側にまわっている.ひと昔前は「不良」というイメージが根強かった茶髪だが,今では自己表現や流行の側 面が強くなっていることは言うまでもない.とはいえ,急に子どもの外見が変わったことによって,内面が良からぬ方向に向いているのでは,と不安に思う親心 もわからないではない.
 私の高校時代を振り返ると,朝の登校時に日直の生徒と教員が門に立って挨拶の励行と違反物のチェックをしていた.「違反物」とは指定外の鞄や髪留め,極 端な丈のスカート等である.違反が見つかると没収もしくは厳重注意である.今となっては懐かしい思い出だが,現役生徒時代は門で目を光らすお姉さま達がか なり怖い存在だった.
 そのような規則に囲まれて高校生活を送った私が,自由な校風の高等科に勤めるようになった当初は実に戸惑いの連続だった.髪の毛の色や鞄の種類に始ま り,部活後の腹ごしらえの寄り道に至るまで,それらを律する規則はない.規則がなければ当然「違反」もない.生徒は自由の恩恵に浴し,なかには溺れる者も 出てくる.すると,親や教師との間に「摩擦」が生じる.この「自由への代償」ともいえる世代間の摩擦や葛藤をどう解決していくか.ここからは大人と子供の 知恵比べである.親や教師は必死になって理論武装に励む.子供は大人の論理の僅かな隙を鋭く突いてくる.高校生にもなると,議論の語彙も豊富になっている だろう.何時間も,何日にも渡って話し合いが続くかもしれない.あるいは子どもが反抗期であれば話し合い自体が成立しないこともあるだろう.埒があかず大 人が「駄目といったら駄目なんだ!」と放言したり,子供が「うぜぇ!」と家を飛び出して逃げたら「負け」である.
 私も日々職場で大なり小なり生徒と好戦を交えている.通りすがりに二言三言で済ますものもあれば,生徒を呼び出して真顔で向き合うこともある.時には辛どいと思うこともあるが,高等科で「自由」の意味を考えてもらう好機を逃す手はない,と考えている.

2年主管 山本章博|「我が身を省みる」

 二年生は,高校生活の折り返し地点を過ぎた.二学期になって,さすがに大人になったなあと思う.それは,部活や委員会などで三年生が引退し,責任ある立 場になった人が多くなったのも一つの理由であろう.後輩をまとめる立場となり,困難にぶつかっている人も多いようだ.一年生がついて来ない,言うことを聞 かない,思い通りに動いてくれない,など.いくら自分の主張がしっかりとしていても,それを理解させることの難しさを感じることがあるだろう.
 教員も日々同じようなことを感じながらいる.がんばって授業しているのに,なんでこいつは寝てばかりいるのだろう.なんで掃除を毎回サボるのだろう.親もまた然り.なんでうちの子は勉強しないのだろう.なんで本も読まずにゲ─ムばかりしているのだろう.
 生徒からも教員からも父母からも「いくら言っても聞かない.」という怒りといらだちの声は多い.以前たいへん世話になった小岩の不動産屋のおやじさん は,その点あきらめていた.賃貸マンションの契約で初めて会った時,「へえ─学校の先生かい.すごいね─.たくさん勉強したんだ.うちの子なんて全く勉強 しないねえ─.まあ,おれもうちに帰ってビ─ル飲んで寝っころがって野球見てるだけだから,子どもが勉強するわけないよな─.」とあっけらかんと笑ってい た.この謙虚さがまずは大切なのだろう.言うことを聞いてくれないのは,自分の力がないからだ.後輩がついて来ないのは,自分に魅力がないからだ.生徒が 授業を聞かないのは,自分の話しがつまらないからだ.子どもが勉強しないのは,自分が勉強してないからだ.もちろん原因はそれだけではないだろうが,我が 身を磨き続けることを忘れてはならない.

3年主管 長瀬忠之|「短波通信の魅力」

 有害な紫外線を吸収するオゾン層が地上から30㎞ほどの高さにある.そのさらに上空およそ80~360㎞ほどの高度にわたって,電子密度の濃い電離層が何層か分布し,中波や短波の電波を反射する.
 私はこの電離層反射波を利用して短波による海外との無線通信を楽しんでいる.自宅から15mの鉄塔上に設置したアンテナから発射された波長20mの短波 は,高度200㎞程の中層の電離層で反射し,地表との間を往復して遠方に達する.通常は英語を用いる.TVアンテナの化物の如き巨大アンテナを目的方向に 設定すると,モーターの微かな回転音を伴いその向きに照準が合う.電子密度が適度な時には効率よく反射して地球上を駆け巡り世界が身近に感じられる.逆の 場合は通信が困難で,電離層の状態,ひいてはそれを支配している太陽活動の盛衰もみてとれる.長いスパンで観るとこの周期は11年,太陽黒点数の増減周期 とも符合している.
 折りしも10月27日,太陽面で大規模な爆発現象(フレアー)があり,TV・新聞でも大きく報道された.望遠鏡を通して投影された光球面には地球の数倍 以上もの大黒点が複数個出現,果たして電離層に異常をきたし,ヨーロッパ,アフリカ方面の伝播経路が障害を受け短波帯の通信が一時途絶した.
 ところで電波は通常大圏コースを通るので地球の裏側(対蹠点)に当たる南米との交信は比較的容易だ.時たま計算外のルートを伝播すると,相手方からの信 号には僅かな距離差による干渉の結果,位相のずれを生じエコーが加わる事があり,これがまたなんとも名状し難い心地よい音色として伝わってくる.
 こんな事を私は50年近くやっている.通信技術やモールス信号の送受信については大抵の人には負けない自負もある.その実績を評価され,この世界では権 威ある表彰をアメリカの連盟から受けた.弛まぬ努力と研究の結実だと,自分勝手に思っている.パソコンによるメールの交換と異なり,不確実な無線通信には 限りない魅力がある.戦乱のアフガニスタンや緊迫の中,イラクと交信した感動を抱きつつ,世界中に友達の輪を広げていきたい.
 諸君も一生の友,生涯の趣味を見つけたら大切に育んでいって欲しい.
  間もなく冬至,日暮れも一段と早くなり,年の瀬の雑事に忙殺される日々が増す.その前に,子(ね)の権現はじめ奥武蔵の古刹を巡ってくるとしよう.

1年主管 竹下 孝|「お前,ヘンだぞ!」

 情けないことに,うちの三歳になる子供は私の言うことをまったく聞かない.聞かないどころか,どう考えても私を馬鹿にしている.昨日も「おい,お前,ヘンだぞ!」と私を鼻で笑った.三歳児のクセに,お前こそヘンだぞ!
 しかし,こう怒りつつ疑問が浮かぶ.言うことを聞かない人間など家を一歩出ればうじゃうじゃいるのになぜ家族がそうだと腹を立てるのか?おそらく人は家 庭において互いに親密である=理解可能であるべきだという思い込みがあるが故に,こうした透明な関係を拒絶する他者への苛立ちや憎しみが増幅するのであろ う.つまり「仲良し家族」などといった言葉こそ家庭内暴力や虐待の元凶なのかもしれない.
 とはいえ,では家庭を放棄すればいいかと言えば,必ずしもそうでないことは,現実に家庭を喪失した「ホームレス」と呼ばれる人々の実態を見ればよく分か る.彼らの悲惨さはただ金銭的な貧困ではなく,生活の記憶を共有する人間の不在,自己の存在が忘却されることの不安,恐怖にこそあるのだ.
 無論これは,家庭に限定された話ではない.学校(ホームルーム)もまた同じ問題を抱えている.学校で起きる問題・暴力の多くは,学生と教員,学生と学生 の間に,透明な関係が求められることから来ている.それは学校が人間関係を形成する数少ない場であることの証でもあるのだが.
 「ホーム」の中で暴力に耐えるのではなく,また「ホーム」を失い孤独に苦しむのでもなく,他者の理解不能性を前提とし,そう,お前,ヘンだぞ!」と言い ながら,にもかかわらず言葉を交わし続け,思い出を共有し,存在を承認し続けようとすること.そんな「異者の共同性」を立ち上げることは夢でしかないのだ ろうか.

2年主管 佐藤茂人 |「役立つ」ということ」

 指導要領では教育活動の目標の一つに「生きる力をはぐくむことを目指して」を掲げている.「生きる力」とはどんな力か.「生きるために役立つ力」ということかもしれない.
 先日,永六輔さんのラジオ番組でゲストの中山千夏さんが「役立つ」について話していた.今の世の中では「役立つ」とは「金儲けができる」とほとんど同じ 意味になってしまっている.その結果,大人はもちろん,こどもたちも「いかにして金儲けするか」かで行動するようになり,自己中心で,他人の迷惑などは考 えようともしなくなっている.日頃起こっているいろいろな事件もこのことに起因しているのではないか.かつて教育の目標が「いかに生きるか」を探求するこ とであり,そのために「役立つ」ということであったはずだ.もう少し視野を広げ,心の豊かさを求めて欲しい.そんな内容だったと思う.
 ところで,先年ノーベル賞を受賞したお二人小柴さんと田中さんとの研究は対照的である.田中さんは一企業の研究室に属している以上金儲けのための研究 (ただし,当初は必ずしもそうでなかったと思うが)であるのは当然である.一方,小柴さんは自ら語っている.「僕の研究は金儲けにはつながらない.しか し,このような研究もどうしても必要なのだ.」 なお,氏はノーベル賞の賞金を元手にこのような基礎研究を援助するための基金をつくられたと聞いている. これから国公立大学が独立法人化するとき,大学の研究も益々金儲けの方向に向い,金儲けとは縁のない研究が疎かになるのではないかと心配する.
 高校で学ぶものの多くは,直接「金儲け」につながることは少ないないだろう.だからと言って,要らないわけではない.金儲けにつながらないものにも関心 をもって探究して欲しいと思う.いろいろなことを学ぶことによって培われるものが,きっと人生を豊かにしてくれるだろう.それが「生きるために役立つ力」 をはぐくむということだと思うのだが.

3年主管 和田浩平 |「「黄粱の夢」駅」

 一昔前のことである.冬,北京から雲南までの旅に出た.河北省の省都の石家荘を過ぎると列車はやがて邯鄲という町についた.夕暮れ時,二十分ほどの停車 時間があり,まどろみながらこの名前を懐かしく思った.遠い高校時代に読んだ唐代の「枕中記」(沈既済作)という伝奇小説の舞台だった.
 ある日の邯鄲.蘆生という若者が,道士の呂翁が休息していた旅籠に立ち寄った.しばらくすると二人は同じ席に座り,和やかに話を始めた.しかし蘆生はやがて溜め息をつき,身の不遇を嘆く.蘆生はそのわけを語り終わるとやがて呂翁が授けた枕に眠り入った.
 蘆生は科挙に及第し,エリートコースを歩んだが,権謀術数の政界で二度左遷され,また二度宰相にまでなる.五十余年の生涯に人生の名誉と恥辱,生と死,栄耀栄華を体験する.それは旅籠の主人が黍をむし,まだそれが煮えぬ間の一睡の夢であった.
 そのような人生のはかなさを語る話だったという記憶をたどっているうちに,列車は徐に動きだす.ぼんやりと窓の外を見ていると月台(プラットホーム)に 今度は「黄粱夢」という文字が書かれた看板が目に入った.「ここで盧生が...」と,その駅名の存在になんとも怪異な気分になり,その名を写真におさめよう と,窓をあけてシャッターをきった.
 春節の一月,昆明には,菜の花が咲いていた.大理では白族が青い湖で漁をしていた.
 二週間の旅を終え,北京に戻った.旅の思い出は,写真の中に在る.雲南の春,少数民族との出会い.どれも楽しかった.ただ「黄粱の夢」という駅名だけは,夕景の中に霞んで写っていた.そのぼやけた写り方に何とも言えぬ味わいを覚え,羈旅にある浮生を思ったものである.

ページの先頭へ