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エッセイ

1年主管 竹下 孝|「お前,ヘンだぞ!」

 情けないことに,うちの三歳になる子供は私の言うことをまったく聞かない.聞かないどころか,どう考えても私を馬鹿にしている.昨日も「おい,お前,ヘンだぞ!」と私を鼻で笑った.三歳児のクセに,お前こそヘンだぞ!
 しかし,こう怒りつつ疑問が浮かぶ.言うことを聞かない人間など家を一歩出ればうじゃうじゃいるのになぜ家族がそうだと腹を立てるのか?おそらく人は家 庭において互いに親密である=理解可能であるべきだという思い込みがあるが故に,こうした透明な関係を拒絶する他者への苛立ちや憎しみが増幅するのであろ う.つまり「仲良し家族」などといった言葉こそ家庭内暴力や虐待の元凶なのかもしれない.
 とはいえ,では家庭を放棄すればいいかと言えば,必ずしもそうでないことは,現実に家庭を喪失した「ホームレス」と呼ばれる人々の実態を見ればよく分か る.彼らの悲惨さはただ金銭的な貧困ではなく,生活の記憶を共有する人間の不在,自己の存在が忘却されることの不安,恐怖にこそあるのだ.
 無論これは,家庭に限定された話ではない.学校(ホームルーム)もまた同じ問題を抱えている.学校で起きる問題・暴力の多くは,学生と教員,学生と学生 の間に,透明な関係が求められることから来ている.それは学校が人間関係を形成する数少ない場であることの証でもあるのだが.
 「ホーム」の中で暴力に耐えるのではなく,また「ホーム」を失い孤独に苦しむのでもなく,他者の理解不能性を前提とし,そう,お前,ヘンだぞ!」と言い ながら,にもかかわらず言葉を交わし続け,思い出を共有し,存在を承認し続けようとすること.そんな「異者の共同性」を立ち上げることは夢でしかないのだ ろうか.

2年主管 佐藤茂人 |「役立つ」ということ」

 指導要領では教育活動の目標の一つに「生きる力をはぐくむことを目指して」を掲げている.「生きる力」とはどんな力か.「生きるために役立つ力」ということかもしれない.
 先日,永六輔さんのラジオ番組でゲストの中山千夏さんが「役立つ」について話していた.今の世の中では「役立つ」とは「金儲けができる」とほとんど同じ 意味になってしまっている.その結果,大人はもちろん,こどもたちも「いかにして金儲けするか」かで行動するようになり,自己中心で,他人の迷惑などは考 えようともしなくなっている.日頃起こっているいろいろな事件もこのことに起因しているのではないか.かつて教育の目標が「いかに生きるか」を探求するこ とであり,そのために「役立つ」ということであったはずだ.もう少し視野を広げ,心の豊かさを求めて欲しい.そんな内容だったと思う.
 ところで,先年ノーベル賞を受賞したお二人小柴さんと田中さんとの研究は対照的である.田中さんは一企業の研究室に属している以上金儲けのための研究 (ただし,当初は必ずしもそうでなかったと思うが)であるのは当然である.一方,小柴さんは自ら語っている.「僕の研究は金儲けにはつながらない.しか し,このような研究もどうしても必要なのだ.」 なお,氏はノーベル賞の賞金を元手にこのような基礎研究を援助するための基金をつくられたと聞いている. これから国公立大学が独立法人化するとき,大学の研究も益々金儲けの方向に向い,金儲けとは縁のない研究が疎かになるのではないかと心配する.
 高校で学ぶものの多くは,直接「金儲け」につながることは少ないないだろう.だからと言って,要らないわけではない.金儲けにつながらないものにも関心 をもって探究して欲しいと思う.いろいろなことを学ぶことによって培われるものが,きっと人生を豊かにしてくれるだろう.それが「生きるために役立つ力」 をはぐくむということだと思うのだが.

3年主管 和田浩平 |「「黄粱の夢」駅」

 一昔前のことである.冬,北京から雲南までの旅に出た.河北省の省都の石家荘を過ぎると列車はやがて邯鄲という町についた.夕暮れ時,二十分ほどの停車 時間があり,まどろみながらこの名前を懐かしく思った.遠い高校時代に読んだ唐代の「枕中記」(沈既済作)という伝奇小説の舞台だった.
 ある日の邯鄲.蘆生という若者が,道士の呂翁が休息していた旅籠に立ち寄った.しばらくすると二人は同じ席に座り,和やかに話を始めた.しかし蘆生はやがて溜め息をつき,身の不遇を嘆く.蘆生はそのわけを語り終わるとやがて呂翁が授けた枕に眠り入った.
 蘆生は科挙に及第し,エリートコースを歩んだが,権謀術数の政界で二度左遷され,また二度宰相にまでなる.五十余年の生涯に人生の名誉と恥辱,生と死,栄耀栄華を体験する.それは旅籠の主人が黍をむし,まだそれが煮えぬ間の一睡の夢であった.
 そのような人生のはかなさを語る話だったという記憶をたどっているうちに,列車は徐に動きだす.ぼんやりと窓の外を見ていると月台(プラットホーム)に 今度は「黄粱夢」という文字が書かれた看板が目に入った.「ここで盧生が...」と,その駅名の存在になんとも怪異な気分になり,その名を写真におさめよう と,窓をあけてシャッターをきった.
 春節の一月,昆明には,菜の花が咲いていた.大理では白族が青い湖で漁をしていた.
 二週間の旅を終え,北京に戻った.旅の思い出は,写真の中に在る.雲南の春,少数民族との出会い.どれも楽しかった.ただ「黄粱の夢」という駅名だけは,夕景の中に霞んで写っていた.そのぼやけた写り方に何とも言えぬ味わいを覚え,羈旅にある浮生を思ったものである.

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