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エッセイ

1年主管 坂下 誠|「「慣れる」と言うこと」

 「慣れる」とは,生活に慣れる,仕事や人の関係に慣れる等,続けていくことによって得る感覚である.比較的良い意味で使われるこの言葉,果たしてどうだろうか.
 自分の経験を一つお話しよう.アメリカで一年間の研修をしていた頃,当時お世話になっていたホストファミリーとの生活にも慣れ,研修も順調に進んでいた ある時,「慣れた」ということで失敗をしてしまった.アメリカの家は多くの家でセキュリティーシステムを導入しており,滞在先の家も同様であった.安全面 と引き換えに,頻繁におこなうロック・解除,暗証番号の変更など,意外に複雑な操作をしなければならなかった.その操作を間違うと,二四時間いつでも警備 会社の人がかけつけ,けたたましいベルの音が近所中に響きわたる事になる.このことは最初にファミリーが詳しく説明してくれ,慣れない自分に毎日のように その操作を教えてくれた.
 それらの使い方に慣れ,生活全般に慣れたある夜,めずらしく夜遅くまで起きていた私は,就寝中のロックが掛かっている事をすっかり忘れ,部屋に入ってい た虫を外へ出すため窓を開けてしまった.操作を習っていた最初の頃では考えられないうっかりミスだった.ベルの音が響き渡った.驚く間もなく,警備会社の 人が家に来て,そのベルの音は止まった.夜中の二時だった.この件でファミリーに大きな迷惑をかけた事は言うまでもない.アメリカに来てちょうど三ヶ月が 過ぎようとしていた.
 四月に新しく高等科生活が始まりまさに約三ヶ月が過ぎようとしている一年生諸君.友人,先生,授業,生活全般に慣れに慣れきってしまっている者もいるの ではないか.慣れることは大切であると同時に,気のゆるみにもつながる.大きな落とし穴に落ちる前に初心に戻ることの大切さも心に留めておいてほしい.

2年主管 高城彰吾|「面談て何だろう?」

 その1 生徒面談
 部活に熱中し確かな充実を感じても,勉強に手が回らない不安.家でネットやパソコンゲームにはまっていれば,終わって何となく時間を損した気分.予備校に通って刺激を受けても,学校の予習復習がおろそかになる.限られた時間の使い方に,不安を感じない人は稀だろう.
 2年生のこの時期,汗も大事,趣味に没頭するのも人生の糧だし,将来に備えることも必要だ.どんなに話しても,私からは,せいぜい一つに偏らないよう に,と「進言」するのが関の山である.ということは,諸君には,誰も助けてくれない不安から,一歩進めて,誰も助けてくれないのだという自覚を生み出すこ とが求められている.これを「本人の自覚」とよぶ.
 こちらの思いを受け止めてくれればうれしいが,一方こちらが諸君の悩みをしっかり受け止められたかどうかは正直自信が持てない.また,いつか話そう.
 その2 保護者面談
 早い話,当事者不在である.この場で保護者と私にできるのは,スタンス確認の作戦会議となる.その一端を紹介しよう.
 成績を見ながら,「かなり向上した科目もあるようですが,こちらの科目はやはり苦戦していますね.」「ええ,試験前に時間はかけているようでしたが,普 段からコツコツやる習慣をつけさせるにはどうすればいいのでしょうか.」「結局は本人の自覚の問題ですが,今回の結果はだいぶ重く受け止めているようなの で,ここは見守ってみましょう.具体的なやり方については本人と話します.」云々....
 しかし,ここでも保護者の疑問を受け止められた自信はない.次の機会にまた話をさせていただこう.申し訳ないな.

3年主管 松下 昭|「15回目の夏休み」

 三年生にとって今年の夏休みは幼稚園から通算すると,15回目の夏休みとなる.企業の夏休みが長くなったとはいえこれほど長い夏休みは,今年を含めてあ と5回しかない.こんなに貴重な夏休みをどのように過ごすか,大問題である.しかし,自分を例にとると余り立派なことは言えない.
 これまで,クラブ活動しかしてこなかった私にとって,練習のない夏休みはノッペラボーなものであった.サザンか何かの歌にあるような「胸躍る夏の始ま り,有頂天の夏真っ盛り,そして感傷的な夏の終わり」なんてものとは全く無縁だった.甲子園で行われている高校野球の中継を見ながら,ボケーッと毎日を過 ごした.1回戦か,よしよし,2回戦か,お盆になると観客が多いな,ベスト8か,あれれ?外野に赤とんぼが飛んでるよ,おいおいもう決勝戦になってしまっ たのか...といった感じで貴重な夏休みは殆ど終わってしまった.当然,この酬いを2,3月にきっちり受けたのは言うまでもない.
 とはいっても全く収穫がなかったわけではない.8月の後半からは,友人に誘われて,毎日登校して教室で勉強することにした.教室で勉強していると,珍し い奴がいると思ったらしい数人の同級生が勉強方法をあれこれ助言してくれた,今から思うとその助言の多くは,こんな事も自分は知らなかったのかと赤面して しまうようなものばかりだったような気もするが,それでも僕にとって彼らの助言は新鮮に思われたのだ.おそらく新鮮だったのは,彼らの助言ではなく,彼ら の存在そのものだったのだろう.それまで自分には遠い存在に思われた同級生が,急に身近に感じられるようになったとても不思議で貴重な夏休みだった.
 どんな夏休みを過ごすか,それは個人の自由だが,生徒諸君にはぜひ悔いのない15回目の夏休みを過ごして欲しいと思っている.また,9月に元気で会おう!

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