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高等科NEWS

沖縄についての感想文|1E34前屋 亮介

 私が読んだ本には、琉球王朝の話や日本に復帰するまでの話が書かれていました。しかし、読み終わって頭の中にあるのは沖縄戦のことばかりです。あまりにも衝撃的過ぎて、強く印象に残っています。
 読み終わって正直な感想は「有り得ない」です。「すごい」とか「怖い」という感情を通り越して、今の自分で考えられない内容でした。私は沖縄出身の母を持ち、生まれた場所が沖縄なので、毎年のように沖縄に行きます。ですから、何年か前にひめゆりの塔にも平和祈念資料館にも行ったことがあり、太平洋戦争中におきた沖縄戦についても、ある程度の知識はありました。しかし、今現在の沖縄に行き、戦争の話を聞いてもあまり実感がわきませんでした。最近の沖縄は観光地として注目を集め、とてものどかなところです。海もきれいで、食べ物もおいしいです。そんな現在の沖縄と触れ合った私は、どんなに戦争の話をされても、その実状を理解しきるには限界があったのです。しかしなぜか今年の夏休みの再度沖縄戦の内容を本で読むと、その惨たらしさや悲惨さを嫌というほど痛感しました。私自身、少し成長し命の尊さを少しは理解できているのかと感じることができました。
一九四五年に終わった太平洋戦争。戦後六○年を迎えた今年は、太平洋戦争について知る機会が多くあったように思います。テレビでは「戦後六○周年スペシャルドラマ」と銘打って、各局で二時間ドラマが放送されました。八月六日、九日、十五日はそれぞれ広島原爆投下、長崎原爆投下、終戦の記念日で、ニュース番組で多く取り上げられていたと思います。今回読んだこの本を含めて、そういった戦争関連のテレビ番組などに触れるたびに私は強く何かを感じました。ただ、その「何か」を具体的に言葉で表すのが難しいのです。簡単に言ってしまえば、「命の尊さ」とか「二度と戦争を起こしてはいけない」という想いなのですが、私が感じた「何か」は簡単に一言で言い表すことができるほど浅いものではないと思います。私は実際に太平洋戦争や沖縄戦を経験したわけではないので、この先「何か」を完全に理解することはないといっていいと思います。戦争でなくなった方達の苦しみや悔しい想いはとてつもなく重いものだと思うので、私の胸に突き刺さった「何か」を簡単に理解することはできないと思っています。

 沖縄戦の実相にふれるたびに
 戦争というものは
これほど残忍で これほど汚辱にまみれたものはないと思うのです

 これは沖縄県平和祈念資料館の壁に書かれていた詩の一部です。私も同感です。戦争というものは人間をダメにすると思います。平和な世の中となった今、人を殺せば犯罪者になります。しかし、戦争中に人を殺せば英雄になります。人の価値観を変えてしまう、恐ろしいものだと思います。本には「死者約十八万人」とか「多くの人の命がなくなりました」としか書いてありません。だけれども私はこんなに短い文章で終わらせていいのかと思いました。「十八万人」の人や「多くの人」、一人一人に名前があり、それぞれの人生があったと思うと無念でなりません。本に書かれる沖縄戦の実状は想像するしかありません。しかし、実際の光景は私の想像を絶すると思います。ひめゆり学徒隊の人達はどんな場所で傷兵を看護していたのか。逃げまどう民間人の人達はどんな思いで防空壕の中にいたのか。爆弾を背負って敵に突っ込むというのは一体どれだけ怖く、どれだけ痛いのか。そして一九四五年当時の沖縄はどんな姿をしていたのだろうか。絶え間なく弾や爆弾が飛び交う沖縄とは一体どんなところなのか。これらのことを考えると、とても心が痛くなり、悲しくなり、怖くなり、戦争が心から憎くなります。
 沖縄戦に限らず、戦争の話に触れるといつも「何か」を学ぼうとします。そして今回、この本を読んで、戦争を美化し賛同した人、爆弾を背負って敵に突っ込めと命令した人、原子爆弾を作った人に「人の命を何だと思っている。」と言いたくなりました。

    池宮城 秀意 著  『戦争と沖縄』 

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