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2017年度卒業式

 2017年度高等科卒業式が行われました.
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高等科卒業式告辞

学習院高等科 科長 武市憲幸

 学習院の桜が、まるでこの旅立ちの日を祝うかのように、花を咲かせ始めたこの日、今年度の卒業式をここに行えることを大変うれしく思います。
 
 卒業生のみなさん、そして保護者の皆様ご卒業おめでとうございます。

 卒業生の皆さんは、高等科での課程を終えて、次は将来の進路へと直接つながる専門的な課程に進むわけですが、今は、どのような思いを抱いていることでしょう。

 私も中等科から学習院に入学し、高等科を卒業したわけですが、私が卒業した時代は、現在に比べてまだまだのんびりしていたように思います。将来を思い描くにしても、あるスタンダードが存在して、それを基準に考えることができた、ある意味のんきな時代だったのかもしれません。

 それに比べて現在は、様々な局面で先の見通しがききにくい、つまり将来像が描きにくい時代、スタンダードが存在しない時代なのだと思います。
少し視野を広げて、政治・経済・外交など様々な分野においてもこうした状況は、当てはまるのではないでしょうか。そして人々は、先の見通せない不安感から、ともすれば他人を攻撃することにその吐け口を見出そうとしているような気がしてなりません。一つの国が他の国を非難し、一つの国の中でも、攻撃する対象をみつけて、容赦ないことばを浴びせかける。こうしたことをしている本人には自覚がないのでしょうが、みずからの不安は、けっして他人への憎しみの感情によって癒されることはないでしょう。それどころか、憎しみの言葉は、そうした感情を増幅してゆくだけなのです。高等科を卒業した諸君は、けっしてそのような「空気」に同調することなく、自身の「不安」と正面から向き合っていって欲しいと思います。自分とは違う考え方の人間を一方的に非難したり、排斥したりすることはわれわれの生きている社会をますます息苦しくしてしまいます。困難なことかもしれませんが、どうか自分には厳しく、他人には寛容であって欲しいと思います。そして高等科で3年間を過ごした君たちは、ここで述べたことを違和感なく受け止めてもらえると信じています。
先ほどみずからの「不安」と真正面から向き合って欲しいと、述べましたが、私はここで小説家の夏目漱石が、芥川龍之介に宛てた手紙の中にある言葉を紹介したいと思います。大正5年に書かれたものですので、漱石は当時50歳、芥川は作家としてスタートを切ったばかりの26歳でした。ちなみに漱石はこの手紙を出した数か月後に亡くなります。つまり晩年の彼が若い世代に残した最後のメッセージと言ってもいいでしょう。

「牛になる事はどうしても必要です。吾々はとかく馬にはなりたがるが、牛にはなかなかなり切れないです。 (中略)
あせってはいけません。頭を悪くしてはいけません。根気づくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。うんうん死ぬまで押すのです。それだけです。決して相手をこしらえてそれを押しちゃいけません。相手はいくらでも後から後からと出て来ます。そうして吾々を悩ませます。牛は超然として押して行くのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。」

以上です。突然馬や牛の話が出てきて驚いたかもしれません。俊敏な馬と鈍重な牛と。若い頃はともすれば人の眼を引くような行為に憧れるものです。ただ漱石は、ここで「火花」という言葉を使って、そのような行為に、ある「危うさ」を感じ取っています。自分が何かの壁にぶつかった時も、その問題から目を逸らしたり、壁を、あたかも障害物競走の馬のように一気に飛び越えようとする誘惑にかられるものです。しかし、壁が高く、容易に打ち壊すことができないものであればあるほど、われわれは、鈍重な牛のように愚直にその壁を押し続けるしかないのではないか。むろん口で言うほど易しいことではないのは、漱石の言う通りなのですが、私は、若い頃この漱石の言葉に出会って、「根気よく、超然として何かを押し続ける牛」のイメージに励まされた覚えがあります。皆さんもこれから何か困難なことに打ちあたり、不安に駆られた時、この「牛」のことを思い出してみて下さい。
 
 父母保証人の皆様、本日の卒業式には学校法人学習院を代表して、内藤院長、耀専務理事、平野常務理事、江崎常務理事にご列席いただいております。またご来賓として東園桜友会会長、新谷(しんたに)父母会副会長、一條中高桜友会会長にご列席いただいております。私たち学習院高等科の教職員一同、心からご子息のご卒業をお祝い申し上げます。

 ご子息が高等科に入学して3年間が経ちました。高等科の入学式に新入生として参列していた日のことはまだまだ記憶に新しいと思います。私も親としての経験がございますが、この3年間は本当にいろいろあった3年間だったのではないでしょうか。時には、はたで見ていて、ヒヤヒヤされたこともあったかもしれません。彼らはこの3年間いろいろなことを体験して今日卒業の日を迎えました。そしてこの目白のキャンパスで過ごしたことが、より良き成長の手助けとなったとしたならば、われわれにとってこれほどうれしいことはありません。彼らはこれから自らの足で自分の道を歩いて行くことになります。そうした意味で親としての心配はまだまだ続くと思います。また、われわれにとっても卒業したからと言って、それでお終いだと考えていません。というよりも高等科の教育はこれから始まるのだと言っても過言ではないでしょう。そして、10年後、20年後、それが一つの実を結んでくれれば、と願っています。

 最後に、卒業生の皆さん、この先何か困難なことに突き当たった時は、もう一度この高等科で過ごした日々をふり返ってみて下さい。きっと自分が進むべき方向が示されると思います。また、この3年間で築き上げた友人との絆を生涯大事にして下さい。みなさんにとってこの高等科が、いつまでも「特別な場所」であり続けることを切に願っています。

 以上をもちまして卒業式の告辞といたします。