紀要
Akio YAMAMOTO(高等科教諭(外国語科))|"Kids-play-with-sand Hypothesis"in EFL Reading -Plant the Seeds for Extensive Reading in Gakushuin-
This paper introduces the concept of "Kids-play-with-sand Hypothesis" and
explains the effectiveness of Extensive Reading (ER) when we learn English as a
foreign language (EFL). "Kids-play-with-sand Hypothesis" encourages the
learners' individual initiative and reinforces their positive attitudes toward
learning during lessons. It also implies the importance of the teachers' role as
a designer of language environment. Extensive Reading is thought to be quite an
effective approach to mastering English in the EFL context. However, it seems
very difficult to bring ER in class because the educational method is totally
different from the traditional one, where teachers are to teach English to their
students. Basically students in ER are not taught English by teachers but learn
English from books by themselves at their own pace. In this paper we will
overview the present situation of ER in Gakushuin and plant the seeds for a
better environment of ER in Gakushuin.
上野正樹(高等科教諭(数学科))|"GENUS AND DIFFERENTIAL OF FUNCTION FIELDS WITH STICHTENOTH POLYNOMIALS"
関数体(Function field)は符号理論や代数幾何学,整数論などに応用される対象で,ここでは基礎体 K の超越次数 1 の拡大体 K(x)
の有限次拡大体を関数体として考えている.
その関数体の列を作ったときに,実際にその種数(Genus)や Differential を計算することは,一般的にそれほど容易ではない.そこで本稿では Hermitian の多項式を一般化した, Stichtenoth 多項式をまず定義し,この多項式によって作られる関数体および,帰納的に作られる関数体の種数と Differential を計算することを目標としている.また Hermitian 多項式を一般化した,Stichtenoth 多項式が存在することを例で示している.
その関数体の列を作ったときに,実際にその種数(Genus)や Differential を計算することは,一般的にそれほど容易ではない.そこで本稿では Hermitian の多項式を一般化した, Stichtenoth 多項式をまず定義し,この多項式によって作られる関数体および,帰納的に作られる関数体の種数と Differential を計算することを目標としている.また Hermitian 多項式を一般化した,Stichtenoth 多項式が存在することを例で示している.
佐藤茂人 (高等科講師(数学科))|「作図題再考-Ⅱ <連載企画>数学教師の空き時間 第3回」
前号(高等科紀要3号)の「作図題再考―Ⅰ」では主に正多角形の作図可能性について言及した.今回は最初に作図不可能な正多角形について調べ,次に正17角形の作図法を述べ,続いてギリシア3大難問との関連を検討する.
2.1 正7角形・正9角形の作図について
前号で 3,4,5,6,8,10,12,15,16,20,24,30,32,40,・・・のとき正n 角形が作図可能なことを示した.
そこで,今回は最初に,n = 7,9のときには作図が不可能であることを証明する.
〈TOPIC‐1〉正7角形は作図できない.
〈TOPIC‐2〉正9角形は作図できない.
2.2 正17角形の作図法
ところで,今までにn がn =22m +1 ( m は負でない整数)なるとき,正n 角形の作図可能なことが証明されている.m =0 のとき,n =3 ,m =1 のとき, n =5となり,正3角形および正5角形が作図可能なことはすでに示した.次に,m =3 のとき,n =17となる.正17角形の作図可能性については長い間研究され,ガウスによって18世紀末にその作図法が発見された.作図可能性の証明とその方法について示す.
ガウスは自分のお墓の台座を正17角形にするよう望んでいたと伝えられている.
〈TOPIC-3〉正17角形は作図できる.
以上で,正多角形の作図についての考察は一先ず終了し,続いてギリシア3大難問について考察する.
2.3 任意の角の3等分
ギリシア3大難問の1つ「任意に与えられた角を3等分する」は作図不可能であることを示す.不可能であることは1つの反例を示せばよい.〈TOPIC4〉が反例である.
〈TOPIC-4〉 60。(π/3 ) を3等分する角は作図できない.
2.4 デロスの問題
次なるギリシア難問は,デロスの問題とよばれる「ある立方体の体積の2倍の体積をもつ立方体をつくれ.」である.
〈TOPIC-5〉 ある立方体の体積の2倍の体積をもつ立方体は作図できない.
最後のギリシア3大難問のは「円の面積に等しい正方形をつくれ.」である.これは 方程式 x 2 = π を解く問題になるが,これは高校数学の範囲をはるかに越えるので触れないことした.
前回(紀要3号)の続編であが,ここでも「高次方程式 特に3次方程式」,「因数定理」,「方程式z n-1=0 の解と解の複素数平面上への表示」の知識と理解が必要である.現指導要領から「複素数平面」が削除されたのは残念である.
前回に続いてギリシア以来の古典的な問題を再検討してきたが.一先ずこの小文を終了することにする.
2.1 正7角形・正9角形の作図について
前号で 3,4,5,6,8,10,12,15,16,20,24,30,32,40,・・・のとき正n 角形が作図可能なことを示した.
そこで,今回は最初に,n = 7,9のときには作図が不可能であることを証明する.
〈TOPIC‐1〉正7角形は作図できない.
〈TOPIC‐2〉正9角形は作図できない.
2.2 正17角形の作図法
ところで,今までにn がn =22m +1 ( m は負でない整数)なるとき,正n 角形の作図可能なことが証明されている.m =0 のとき,n =3 ,m =1 のとき, n =5となり,正3角形および正5角形が作図可能なことはすでに示した.次に,m =3 のとき,n =17となる.正17角形の作図可能性については長い間研究され,ガウスによって18世紀末にその作図法が発見された.作図可能性の証明とその方法について示す.
ガウスは自分のお墓の台座を正17角形にするよう望んでいたと伝えられている.
〈TOPIC-3〉正17角形は作図できる.
以上で,正多角形の作図についての考察は一先ず終了し,続いてギリシア3大難問について考察する.
2.3 任意の角の3等分
ギリシア3大難問の1つ「任意に与えられた角を3等分する」は作図不可能であることを示す.不可能であることは1つの反例を示せばよい.〈TOPIC4〉が反例である.
〈TOPIC-4〉 60。(π/3 ) を3等分する角は作図できない.
2.4 デロスの問題
次なるギリシア難問は,デロスの問題とよばれる「ある立方体の体積の2倍の体積をもつ立方体をつくれ.」である.
〈TOPIC-5〉 ある立方体の体積の2倍の体積をもつ立方体は作図できない.
最後のギリシア3大難問のは「円の面積に等しい正方形をつくれ.」である.これは 方程式 x 2 = π を解く問題になるが,これは高校数学の範囲をはるかに越えるので触れないことした.
前回(紀要3号)の続編であが,ここでも「高次方程式 特に3次方程式」,「因数定理」,「方程式z n-1=0 の解と解の複素数平面上への表示」の知識と理解が必要である.現指導要領から「複素数平面」が削除されたのは残念である.
前回に続いてギリシア以来の古典的な問題を再検討してきたが.一先ずこの小文を終了することにする.
益子雅文(中等科教諭(数学科))|解の公式(ガロアの立場から)
四次以下の方程式は,係数から出発し,それらに四則演算とベキ根をとる算法( n√ )とを行って,解をすべて表わすことができる(解の公式).この小論では,ガロア群をたよりに2,3,4次方程式の解の公式を具体的に求めてみた.
島田昌幸 (高等科教諭(政治経済))|「東京のフランケンシュタイン:あるオーストリア=ハンガリー外交官の東京駐在 (1911-13年)」(1)
これから数回にわたってオーストリア=ハンガリー帝国の外交官,ゲオルク・フランケンシュタイン男爵(Georg Freiherr von und zu Franckenstein: 1878-1953)の東京駐在時代(1911~13年)を回顧録や文書館史料に基づいて描いてみたい.名門出身の典型的なオーストリア外交官であるフランケンシュタインについては独墺合邦(1938年)後,英国に亡命しSir George Franckensteinとなった後の働きに触れた研究はあるが,ハプスブルク帝国時代の働き,特に東京駐在期について描かれたものは少ない.彼の外交官としての東京での働きを追うとともに,多感な少年時代にウィーンで傑出した芸術家たちと親しく交わった若者が,明治末期から大正初期にかけての日本をどのようにとらえたのかについても触れてみたい.今回はフランケンシュタインの生い立ちと東京に赴任するまでの経緯を描いた.
岩下敦哉 (法人総合企画部,元中高等科事務室勤務)|「学校現場にかかわる人のための身近な心理学」入門編 ―「学校におけるメンタルケアの今日的課題」と「学校という『場』に おけるマスクとノンバーバル・コミュニケーションの理解」―
心理学は日々の生活の場面でもっと役に立つ,そう思って本稿を書き始めた.心理学というとカウンセラーや精神科医,大学教授や研究者たちが,専門用語を使って人間を分析しているといったイメージを持つ人が多いかもしれない.そんな心理学も元はと言えば,お互いの気持ちを理解し,気持ち良く人間関係が築けるように生まれ育ってきたものなのである.そう考えると,心理学を専門家だけのものにするのではなく,私たちの日々の生活でもっと上手に使って,周りの人々と気持ち良い人間関係をつくっていきたいものである.
そして本稿では,お互いにより良く生活していくために,心理学の知識がたいへん有効であるということをお伝えしたいのである.特に,専門家ではない私たちが日常の中で子どもたち(生徒たち)と接する際に,ほんの少し気をつけるだけで,あるいはほんの少し気を配るだけで互いの関係が好転し,彼らの成長に役立つというような「ほんの小さなこと」でも「大切なこと」について「気づいて」いただきたいのである.すでに現実の場面で無意識に行っていることも多いかも知れないが,あらためて意識することによってより効果をあげていただきたい.ただ,学術書ではないので,なるべく専門用語やわかりにくい表現は避け,入門編として,学校におけるメンタルケアの現状と学校を中心とした人・場・関係性についてヒントとなるようなことを提示したいと考えている.
どのような場面でどのようなことを気をつけたら良いのか,どんなことがポイントとなるのかについて,本稿からヒントを得ていただければ幸いである.
本稿は,二部構成となっている.第一部は「学校におけるメンタルケアの今日的課題」ということで一般的な学校の現状を確認していただき,第二部で「学校という『場』におけるマスクとノンバーバル・コミュニケーションの理解」として,学校という限られた場面,特殊な環境において気をつけるポイントについて述べていきたいと考えている.その際,<基本的なポイント><問題点・課題><できること・対応・対策>という形でなるべく簡潔にまとめ,理解しやすいよう記述している.
そして本稿では,お互いにより良く生活していくために,心理学の知識がたいへん有効であるということをお伝えしたいのである.特に,専門家ではない私たちが日常の中で子どもたち(生徒たち)と接する際に,ほんの少し気をつけるだけで,あるいはほんの少し気を配るだけで互いの関係が好転し,彼らの成長に役立つというような「ほんの小さなこと」でも「大切なこと」について「気づいて」いただきたいのである.すでに現実の場面で無意識に行っていることも多いかも知れないが,あらためて意識することによってより効果をあげていただきたい.ただ,学術書ではないので,なるべく専門用語やわかりにくい表現は避け,入門編として,学校におけるメンタルケアの現状と学校を中心とした人・場・関係性についてヒントとなるようなことを提示したいと考えている.
どのような場面でどのようなことを気をつけたら良いのか,どんなことがポイントとなるのかについて,本稿からヒントを得ていただければ幸いである.
本稿は,二部構成となっている.第一部は「学校におけるメンタルケアの今日的課題」ということで一般的な学校の現状を確認していただき,第二部で「学校という『場』におけるマスクとノンバーバル・コミュニケーションの理解」として,学校という限られた場面,特殊な環境において気をつけるポイントについて述べていきたいと考えている.その際,<基本的なポイント><問題点・課題><できること・対応・対策>という形でなるべく簡潔にまとめ,理解しやすいよう記述している.
林 知宏 (高等科教諭(数学科))|「ヤーコプ・ベルヌーイの無限級数論2:第2論文(1692年)から第5論文(1704年)の分析」
ヤーコプ・ベルヌーイは,1689年の第1論文から1704年の第5論文まで,無限級数を主題とする5本の連作論文を公にした.全体を通じて命題が通し番号で1から60まで掲げられ,一貫したテーマのもとで内容が演繹的に構成されている.この5連作論文は,従来大きな注目をもって研究されてこなかった.しかしながらそれは十分に歴史的な評価与えるにふさわしい多面性を持ったものである.
とくに第1論文は,後続の議論のための前提事項が列挙されており,その時点ですでに既知であったが必ずしも証明が提示されていなかった,無限調和級数
1+1/2+1/3+1/4+1/5+・・・
の発散やライプニッツの級数
1/3+1/8+1/15+1/24+1/35+・・・
の和を見いだすことに明快な解決を与えていた.この第1論文の持つ意義について『高等科紀要』第3号掲載の論文(「ヤーコプ・ベルヌーイの無限級数論:1689年論文における演繹的構造の分析」)で論じた.潜在的に新たな数学的展開が生まれる可能性があったことも指摘しておいた.
本論考においてわれわれは,第2論文以降どのような議論が第1論文の基礎の上に築かれたのかを追究していく.ベルヌーイ論文は,17世紀において何が解決されたのかを整理し,データベースとして後世の者の閲覧を可能にすることを意図しているかのようである.彼に先行した数学者たちが取り組んできた求積(面積,体積,長さを求めること)に関する諸々の問題を,無限級数という一つの技法に帰着させ,その応用例として統一的にまとめ直そうとする様相をわれわれは確認することができるだろう.
求積問題を無限級数の計算に帰着すること.それを17世紀後半の数学者たちは,その世紀の前半に発達した記号代数を駆使して表現する能力を備えていた.またその表現手段を持ち得たことによって,無限級数の計算技法を開発することもできた.表現手段が数学上の新たな問題の設定と解決をもたらした好例である.
一方で,理論として形を整える上では,全体の構成を読者に説得力を備えて提示することも必要である.それに応えるためにヤーコプ・ベルヌーイが,17世紀の終わりの時期から18世紀の初めの時期に,あえて「古めかしい」記述スタイルを採ったことも特筆される.ベルヌーイの残した連作論文の持つ歴史的意義は,ギリシア以来確立していた数学的伝統の遵守と,時代に固有の本質的な変化と両面を備えていることと総括できるだろう.
とくに第1論文は,後続の議論のための前提事項が列挙されており,その時点ですでに既知であったが必ずしも証明が提示されていなかった,無限調和級数
1+1/2+1/3+1/4+1/5+・・・
の発散やライプニッツの級数
1/3+1/8+1/15+1/24+1/35+・・・
の和を見いだすことに明快な解決を与えていた.この第1論文の持つ意義について『高等科紀要』第3号掲載の論文(「ヤーコプ・ベルヌーイの無限級数論:1689年論文における演繹的構造の分析」)で論じた.潜在的に新たな数学的展開が生まれる可能性があったことも指摘しておいた.
本論考においてわれわれは,第2論文以降どのような議論が第1論文の基礎の上に築かれたのかを追究していく.ベルヌーイ論文は,17世紀において何が解決されたのかを整理し,データベースとして後世の者の閲覧を可能にすることを意図しているかのようである.彼に先行した数学者たちが取り組んできた求積(面積,体積,長さを求めること)に関する諸々の問題を,無限級数という一つの技法に帰着させ,その応用例として統一的にまとめ直そうとする様相をわれわれは確認することができるだろう.
求積問題を無限級数の計算に帰着すること.それを17世紀後半の数学者たちは,その世紀の前半に発達した記号代数を駆使して表現する能力を備えていた.またその表現手段を持ち得たことによって,無限級数の計算技法を開発することもできた.表現手段が数学上の新たな問題の設定と解決をもたらした好例である.
一方で,理論として形を整える上では,全体の構成を読者に説得力を備えて提示することも必要である.それに応えるためにヤーコプ・ベルヌーイが,17世紀の終わりの時期から18世紀の初めの時期に,あえて「古めかしい」記述スタイルを採ったことも特筆される.ベルヌーイの残した連作論文の持つ歴史的意義は,ギリシア以来確立していた数学的伝統の遵守と,時代に固有の本質的な変化と両面を備えていることと総括できるだろう.
品川 明 (学習院女子大学環境教育センター教授)|「海浜地域の自然を生かした環境教育:日本海と太平洋の 潮間帯生物分布の比較」
学校教育における環境学習では,児童・生徒・学生が地域の自然や社会に目を向け,身近な環境への関心と理解を深め,その保全と改善・向上のための積極的な判断力と行動力を身につけることが重要である.初等中等教育においても,身近な環境に直接触れる経験を重ねる中で豊かな感受性を養い環境に対する興味や関心を高め,ヒトと環境の関わりや生態系のしくみの基礎を理解することが重要とされる.その上で自分の考えや立場に立って具体的な行動ができるよう,児童・生徒の発展段階に合った学習が求められる.
このような観点から,日本の自然のひとつであり,生物観察の場として最適なフィールドである磯浜をとりあげ,自然体験とともに磯浜の地形や生物調査をとおし,自然観察学習の有用性を明らかにかすることを目的とした.また,干満の差が少ない日本海側の山陰海岸と太平洋側の海岸についてその地形や海岸生物の出現や分布を比較し,両者の特徴を明らかにしようとした.
本研究の結果では,日本海側より生物出現数が多く,多様な生物が観察された.帯状構造も明確で,潮上帯にアラレタマキビ,潮間帯上部にイシダタミ,中部から下部にイボニシなど明確な帯状構造が観察された.これらは潮汐や波浪による干出度や温度の影響による帯状構造と判断されるが,より詳細に考察するために干出耐性や温度耐性などの種特異的な耐性に関する研究が必要と考えられる.
日本海側や太平洋側を問わず,岩礁性潮間帯の生物群集の各生物帯の内部には,小さな溝や生息する生物自身が作り出す二次的環境があり,これらの環境が特異な生物構造を形成する可能性の指摘もある.これらより,岩礁性の生物分布を調査する際は,生物の生理的耐性と生息する生物が形成する二次的な環境特性について考慮する必要があるだろう.
このような観点から,日本の自然のひとつであり,生物観察の場として最適なフィールドである磯浜をとりあげ,自然体験とともに磯浜の地形や生物調査をとおし,自然観察学習の有用性を明らかにかすることを目的とした.また,干満の差が少ない日本海側の山陰海岸と太平洋側の海岸についてその地形や海岸生物の出現や分布を比較し,両者の特徴を明らかにしようとした.
本研究の結果では,日本海側より生物出現数が多く,多様な生物が観察された.帯状構造も明確で,潮上帯にアラレタマキビ,潮間帯上部にイシダタミ,中部から下部にイボニシなど明確な帯状構造が観察された.これらは潮汐や波浪による干出度や温度の影響による帯状構造と判断されるが,より詳細に考察するために干出耐性や温度耐性などの種特異的な耐性に関する研究が必要と考えられる.
日本海側や太平洋側を問わず,岩礁性潮間帯の生物群集の各生物帯の内部には,小さな溝や生息する生物自身が作り出す二次的環境があり,これらの環境が特異な生物構造を形成する可能性の指摘もある.これらより,岩礁性の生物分布を調査する際は,生物の生理的耐性と生息する生物が形成する二次的な環境特性について考慮する必要があるだろう.
山本昭夫(高等科教諭(外国語科))|「必要は外国語学習の母」
2006年度用の高等科「選択の手引き」における本科目の授業紹介は次のようなものである.「授業内容は,ニュース作成を行うという名目で,読む・聴く・話す・書く力を養成することである.題材は,時事問題のみならず,文化・芸能・スポーツなどさまざまなジャンルを扱い,本や映画の紹介,広告づくり,インタビューなども盛り込む.多読も行う.」本稿では,「総合」授業実践について当初目指したこととその出来栄えの報告をする.なぜこのような授業を行ったかという理由や背景に触れて,実際に何ができたかを振り返る.授業の根底に流れていた考えは,外国語学習における必然性だった.
大原祐治 (高等科教諭(国語科))|「裂罅としての郷土/幻視される故郷(下) ― 川端康成「牧歌」について― 」
信州を足繁く訪れた川端康成が,その「勉強」成果の反映として書いた小説「牧歌」(1937・6~1938・12)は,「歌が途絶えたら退場する」という予告どおり,完結しているとは言い難い状態で連載が終えられた.本論文(下)では,「筋立てや人物には余り縛られず」にこの混沌とした小説を書きついだ川端が,そこでいったい何を書こうとしたのか/何を書いてしまったのか,ということについて,本論文(上)で確認した「郷土教育」問題をはじめとする同時代のコンテクストを踏まえつつ考察を行った.とりわけ注目したのは,本文中に大量に引用される高松宮の巡察,あるいは明治における天皇の巡幸に関する記事である.こうしたドキュメントが大量に導入されることで,この小説が描き取ろうとした「郷土」‐「日本の故郷」といった共同幻想に,かえって罅が入っていく様相は,語り手=「作者」自身の「故郷が書けたらいいが,まあ,あの故郷も,この故郷も,ただ素通りして歩いて,死ぬことでせうね.つくづくあさましい根性ですよ.」という言葉として,この小説の中に刻まれている.


