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高等科NEWS

総合的な学習の時間授業報告『博物館を知ろうWeb Museum』

ごあいさつ

  

博物館関係者の間では、博物館の構成要件として「モノ・ヒト・バ」という言葉がよく用いられる。「モノ」とは、博物館や美術館などが収蔵し展覧会で展示する資料や作品のことであろう。また、「ヒト」とはもちろん、そこに従事する職員や展覧会などで訪れる利用者のことで、「バ」とは物理的な空間としてその館そのもの、展示室をさすのだろう。

さて、2020年度は、誰もが経験したことのない新型コロナウイルス感染症拡大という人類的な危機に直面しての開講であった。従来通りの授業はおろか、コロナ対応として再考した授業計画も状況の悪転でリモート授業となることも重なり、二転三転する一年間になった。従来の授業では、一年間かけて展覧会作りを中心に取り組んできたのであるが、対面して作業する授業時間の多くが奪われ、在宅で作業してもらわなければならないことも度重なった。学習院大学史料館の収蔵資料を調査対象にすることもできず、受講生たちには自宅にあるものから調査対象を選定してもらいオンライン授業で紹介、そして調査や解説文を執筆してもらった。対面授業で実施できたのは、わずかに資料の写真撮影やWebサイト、図録、ポスター作りをどう進めるかという話し合いの場を何度か設ける程度であった。このような点から、「モノ・ヒト・バ」の要件が揺らいだ今年度は、このWeb Museumも完成にこぎつけるかどうか、最後まで確約できないままであったが、何とかここに冒頭のごあいさつを述べることができた。

当初の計画になかったWeb Museumというかたちで活動の成果を公開することもコロナ対応の新しい展覧会様式、というよりはすでに博物館界では定着している手法を実践的に学習する好機となったものとして受け止めている。災いを転じて福となす、ということなのであろう。

幾多の制約下でのごくささやかなものですが、ご高覧いただければ幸いです。

                         2021年3月9日

                       

 学習院高等科教諭   會田 康範

                        学習院大学史料館助教 谷嶋美和乃

  1. ごあいさつ(本ページ)
  2. 本型貯金箱
  3. 1964年東京オリンピック記念貨幣
  4. 「切磋琢磨」の書
  5. 百円紙幣
  6. パピルス(複製)
  7. 藤田嗣服武具
  8. 軍服
  9. 加藤一二三九段特製グラス
  10. CHEMEX
  11. 北海道日本ハムファイターズユニフォーム
  12. 地図(Theatrum Orbie Terraum)
  13. モーツァルト「すみれ」

第70回学習院対筑波大学附属高校との総合定期戦(附属戦)が開催されました。

 

今年度は感染対策のため、会場を三校に分け、無観客での開催となりました。

学習院は試合は男女別々ですが、男子部・女子部併せて学習院チームとなります。

今年度も晴天に恵まれました。当日の各競技の様子をご紹介します。

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なお、高等科は6勝5敗1分けとなり、男女併せた総合優勝は学習院となりました。


2020年度 卒業式

感染症対策のため、昨年に続き簡略化した形ではありましたが、
満開のサクラの下、令和2年度の卒業式が行われました。

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高等科卒業式告辞


                       学習院中・高等科長 武市憲幸

 

 卒業生のみなさん、そして父母保証人の皆様、本日はご卒業おめでとうございます。

本来であれば、ここに在校生の諸君も参列して式を挙行するはずでしたが、ご承知の通り、新型コロナウイルスの感染はいまだに収束せず、このように簡易化した形で行わざるを得ませんでした。

思い返せば、昨年の2月頃から始まったこの騒動は、学校生活にも甚大な影響を及ぼしました。4月の新学期になっても登校できなかったことはもちろん、その後のクラブ活動や行事の多くが、中止や延期に追い込まれ、高等科生活最後の年がこのような形になってしまったことが残念でなりません。保護者の方々にもさまざまなご不便をおかけしたことと思います。ただし、この100年に一度ともいわれる厳しい状況の中で、生徒諸君の安全を図るためのやむを得ない措置であったことをご理解いただきたいと思います。

 さて、卒業生諸君は、高等科での過程を終えて、これからより専門的な過程に進んでいくことになります。とは言っても、それもとりあえずの通過点に過ぎないのかもしれません。自分が本当に自分を活かせる場所を見つけるためには、社会に出てからも試行錯誤を続けることになるのだと思います。その試行錯誤の果てに、今まで考えてもみなかった場所にたどり着いているかもしれません。また、一つの道をたどって行くにせよ、時には、壁にぶつかり立ち往生してしまうこともあるでしょう。

 私たちはそれぞれの個性を大切にして日々君たちと接して来ました。そして将来その個性を土台にして自分自身の充実した人生を切り拓いていけるようになることが願いです。ですから、自分自身が活かせる場所であるならば、つまずいたり、転んだりしながらでも、そしてそれが傍から見てどんなに無様に見えようともその場所をめざして歩み続けて下さい。

ここで、高等科を巣立っていく君たちに小説家の夏目漱石が、若き芥川龍之介に宛てた手紙の一節を紹介したいと思います。大正5年に書かれたものですので、漱石は当時50歳、芥川は作家としてスタートを切ったばかりの26歳でした。ちなみに漱石はこの手紙を出した数か月後に亡くなります。つまり晩年の彼が若い世代に残した最後のメッセージと言ってもいいでしょう。

 

牛になる事はどうしても必要です。吾々はとかく馬にはなりたがるが、牛にはなかなかなり切れないです。 (中略)あせってはいけません。頭を悪くしてはいけません。根気づくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。うんうん死ぬまで押すのです。それだけです。決して相手をこしらえてそれを押しちゃいけません。相手はいくらでも後から後からと出て来ます。そうして吾々を悩ませます。牛は超然として押して行くのです。何を押すかと聞くなら人間と申します。人間を押すのです。」

以上です。

 

突然牛や馬の話が出てきて驚いたかもしれません。鈍重な牛と俊敏な馬と。若い頃はともすれば人の眼を引くような行為に憧れるものです。漱石は、ここで「火花」という言葉を使って、そのような行為に、ある「危うさ」を感じ取っています。自分が何かの壁にぶつかった時も、その問題から目を逸らしたり、壁を、あたかも障害物競走の馬のように一気に飛び越えようとする誘惑にかられるものです。しかし、壁が高く、容易に打ち壊すことができないものであればあるほど、われわれは、鈍重な牛のように愚直にその壁を押し続けるしかないのではないか。むろん口で言うほど易しいことではありません。ただ、私は若い頃この漱石の言葉に出会って、「根気よく、超然として何かを押し続ける牛」のイメージに励まされた覚えがあります。皆さんもこれから何か困難なことに打ちあたり、不安に駆られた時、この「牛」のことを思い出してみて下さい。

 父母保証人の皆様、本日の卒業式には学校法人学習院を代表して、耀院長、平野専務理事にご列席いただいております。またご来賓として大木父母会副会長にご列席いただいております。私たち学習院高等科の教職員一同、心からご子息のご卒業をお祝い申し上げます。

皆様におかれましては、3年前この記念会館での入学式のことはまだ記憶に新しいのではないでしょうか。彼らはこの3年間さまざまなことを経験して、今日卒業の日を迎えました。時には、はたから見ていてひやひやされたこともあったかもしれません。この目白のキャンパスで過ごした日々が、より良き成長の手助けとなったとしたならば、われわれにとってこれほど喜ばしいことはありません。彼らはこれから自らの足で自分の道を歩いて行くことになります。まだまだ親としての心配は続くでしょう。また、われわれも卒業したから事足れり、とは考えておりません。むしろ、高等科の教育はこれから始まるのだと言っても過言ではないでしょう。10年後、20年後、それが一つの実を結んでくれれば、と願っています。

3年間、学校運営のさまざま局面にご協力いただいたことを心より御礼申し上げます。

最後に、卒業生の皆さん、この3年間で築き上げた友人との絆を大切にして下さい。それは君たちの生涯を通じての大きな財産となるはずです。みなさんにとってこの高等科が、いつまでも「特別な場所」であり続けることを切に願っています。

以上をもちまして卒業式の告辞といたします。


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箸置き製作

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2020年度は家庭科の授業内で、調理実習を行うことができませんでした。そういった状況下ではありましたが、次のような取り組みをしましたので、授業報告致します。
生徒たちに次のような課題を考えてもらいました。


箸袋で作る折り紙

 
   スマホ育児:スマホやタブレット型端末を育児に利用すること。

もともとスマホを用いた知育やしつけ用のアプリを利用することをさした言葉だったものが、最近は「電車で泣きやまない子どもにスマホを与えて静かにさせる」「親がスマホを見ながら育児をしている」というネガティブなニュアンスを含む言葉となってきています。

テレビが登場した時は子どもがテレビばかり見ていると問題になり、ゲームが登場した時は友達と一緒にいるのに画面ばかり見ている、ということが問題にもなりました。新しいものがでてくると、それが初めからある世代となかった世代の違いや、育った環境の違いなどから、ものの良し悪しの議論が盛んになります。いろいろな考えがあり、これが正解というものはないように思います。

ただ、新しくでてきたものの良い面はわかりやすいけれど、どんな悪い影響を与えるかはまだよくわからないというのが現状で、特に、自分でいろいろなことが判断できない子どもに対しては、今考えられる範囲で最善と思われる策を講じることは大切です。しかし多少の後ろめたさを感じても、子育てでスマホに頼る場面をゼロにすることは難しいため、どう上手に付き合っていくかを考えてみます。

まず「スマ放置」にしないこと。

スマ放置:子どもにスマホを与えたまま放置しておくこと。
 
[スマホ育児をするときに心がけること]
①時間
②距離
目は遠くのものを見るよりも近くのものを見るほうが緊張し、疲れやすいので30cm以上離すこと。子どもは大人と違い「目が疲れた」「ぼやける」といった症状に気付きにくいため、渡しっぱなしにせず、必ず親が使う時間やスマホとの距離に気を配ること。
③生身の人間とのやりとりをおろそかにしないこと。

ここでは③の「生身の人間とのやりとりをおろそかにしないこと」について考えてみたいと思います。ちょっとした待ち時間にスマホに頼ってしまうこともあると思います。例えばレストランでお料理がくるまでの時間、手元にある箸袋で子どもとコミュニケーションをとってみましょう。子どもに限らず、外国の方とのコミュニケーションにも繋がっていくと思います。


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今回のテーマ「箸袋で作る折り紙」ですが、箸袋で「箸置き」を作ってください。箸置きはお箸と違って、食事の際に必ず必要なものではありません。では、何のために箸置きは使うのでしょう?「岩多」箸店さんがわかりやすく書いていらしたので紹介します。

(i) 食事のマナー
食事のマナーは数多くあります。その中でも「渡し箸」と呼ばれるマナー違反があります。これは、食事の途中に箸を食器の上に置くことです。箸を食器の上に置くことは「ごちそうさま」の合図となり、箸を休めるときは、箸置きの上に置くのがマナーです。さらに、箸置きの上にはしを置くことは箸がころころと動かないようにする役目もあります。
(ii) 衛生面
箸置きに箸を置かなければ、食べているお箸がテーブルについてしまいます。そうすると、テーブルもお箸も汚れてしまいます。
(iii) 見た目
箸置きを置くことにより、箸置きが1つのアクセントとなり、食卓が華やかになります。

おまけ:外国の方に説明するために
The chopstick rest is tableware, similar to a knife rest or a spoon rest,used to keep chopstick tips off the table and to prevent used chopsticks from contaminating or rolling off tables.

箸置きが置いてないお店で、ちょっとおしゃべりしたり、箸を置く時に渡し箸をしなくていいように、簡単な箸置きを作れるようになりましょう。
「箸袋 折り紙」「箸袋 箸置き」などで検索するといろいろでてきます。動画もあるので、わかりやすいと思います。自分のレベルにあったもの、どれでもいいので、1つ何も見ないで折れるようになってください。細かい作業が好きな人は是非、うさぎや犬にチャレンジしてみてください。



以上の課題を踏まえ、このページ内にあるような色とりどりの箸置きを、生徒全員が無事に提出しました。いくつかの作品を紹介します。

うさぎ
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りぼん・かぶと
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犬(ダックスフント)
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これをきっかけに、スマホ育児などについて考えていくきっかけになればと思います。

雨上がりのグラウンドから望む空に虹が出ていました

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1613384216-picsay.jpg久しぶりにたくさん雨が降りましたね。久しぶりの登校なのに服が濡れてしまったのではないでしょうか。
でも、そのおかげでグラウンドから見える空にきれいな虹がかかっていました。

オンラインのみの授業も一区切り、今日からは分散登校。再来週からは午前のみですが一斉登校。虹がかかるようにすっきりとはいきませんが、好転の兆しもありますね。今しばらくは少しの我慢、少しの工夫をして、いつか晴れ上がるのを待ちましょう!

2020年 2年生ボッチャ体験行事


2020年度入学式

本来の予定より遅れること約2か月、6月2日火曜日に2020年度入学式が行われました。
感染症対策のため、例年よりも簡略化された挙行となりました。

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学習院高等科 科長

                                       武市憲幸

                               

高等科入学式告辞

 

 「新入生のみなさん、入学おめでとうございます。」

47日、君たちにこの言葉をかけて新年度のスタートとなるはずでした。みなさんもご存知のように新型コロナウイルの感染拡大という事態を受けて休校措置がとられ、およそ2か月遅れの入学式となってしまいました。本来ならば、在校生の諸君、保護者の方々、来賓の方々をお招きして式が行われるはずでしたが、感染防止を考えてこのように新入生のみなさんと教員のみの形になりました。時期が遅れたとはいえ、君たちが高等科に入学して、これから生徒の一員として新たなスタートを切るための大事な行事である、と考えてこのような形で入学式を行なうことに至りました。

 現在こうして壇上からとはいえ、君たちに直接語りかけることが出来て、うれしい気持ちでいっぱいです。休校期間中、生徒たちのいない学校は、なんとも奇妙で空虚な空間でした。このような状態がこのような期間続くということは私も未だかつて経験したことがなく、とにかく君たちにこうして会うことが出来て本当に良かったと思っています。

とはいえ、今日から新型コロナ以前の日常が戻って来るのだ、とはとうてい言えません。さらに、そのような意識を持つことはきわめて危険なことだと思います。このウイルス自体まだ不明な部分が多く、ワクチン開発にもしばらく時間がかかる、と言われています。一旦状況が落ち着いたかのように見えても、第2波の感染拡大がいつ訪れるか、予断を許さない状況であることは、みなさんもご承知の通りです。学校を再開するにあたって、私たちは、様々な感染防止策を講じて来ました。しかし何よりも大切なのは君たちの意識です。新型コロナウイルスを経験する以前の日常、世界とは違うのだという意識をそれぞれが共有しなければなりません。これからガイダンスなどで学校生活を送るうえで、注意すべきことがらが説明されると思います。どうか自分と自分の大切な人の命にかかわる問題として受け止めて下さい。

 私は、5月の初旬、生徒課が企画してくれた「プレ入学式」の中で君たちにビデオメッセージを送りました。その中で、「困難な状況にあっても、他人への思いやりを保ち続けて欲しい」と述べたことを覚えているでしょうか。もしかしたら、なにやら説教くさく感じた人もいるかもしれません。ただ、現在、この「他人への思いやり」ということは、抽象的な「説教」の域を超えた、きわめて差し迫った問題になった、と言えるのではないでしょうか。学校生活においても、今まで以上に「他人」の存在に自覚的になることが必要なのはもちろん、それは、現在の社会全体に問われていることがらなのです。

むろん「他人を思いやる」とは、「他人の顔色をうかがう」ことではありません。自分とは異質の存在である「他人」が、どのように感じ、どのように思うのか、「思いを及ぼす」、「思いを馳せる」、すなわち想像力を働かせるたうえで、思考したり、行動したりするということです。

 学習院の教育目標は「ひろい視野」「たくましい創造力」「ゆたかな感受性」という三つのことばであらわされています。最初に掲げられている「広い視野」とは、つまりは、先ほどから述べている自分とは異質の価値観を持つ「人」や「もの」や「こと」に出会うこと、そしてその出会いを通して「自分」自身を鍛え上げていくことである、と私は考えます。

 これから通常の授業が行われるようになるまで、まだしばらく時間がかかるでしょう。ただ、ビデオメッセージでも話したように、「できなくなったこと」を数え立てて、嘆いるだけでは何も始まりません。現在私たちに問われていること、対応を迫られていることに向き合い、「できること」に全力を尽くしていきましょう。

3年後、君たちが、高等科を卒業する時に、「ここに入学して良かった。」と心から思えるように、われわれも全力を尽くすつもりです。学習院は、その源をたどれば幕末までさかのぼる長い歴史を持つ学校です。明治10年の開校から数えておよそ150年の歴史の中で、幾度かの試練を乗り越えて現在に至っているのです。確かに現在(いま)目の前に突きつけられている問題はとても大きなものです。しかし、それがいかに困難なことであろうと、君たちと共に乗り越え、歴史を未来へつないでいきたいと考えています。

 以上をもちまして入学式の告辞といたします。


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2020年4月7日 高等科の様子

2020年度4月7日に予定されていた入学式は、生徒等の安全確保の観点から延期させていただいています。
わずかではありますが、2020年4月7日の学習院高等科の様子をお伝えします。

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暖かい日も多かったため、葉桜が多くなってはいましたが、綺麗に咲いている桜もありました。
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高等科校舎へと続く道です。

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誰もいないグラウンドですが、遠くには桜も見られます。

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中高門からの道です。グラウンド、中高門、教職員一同で、高等科生が通学できるようになる日を心待ちにしております。


2019年度卒業式

感染症対策のため例年よりも簡略化し、2019年度卒業式を行いました。

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高等科卒業式告辞


                             学習院高等科科長 

                                  武市憲幸



 卒業生のみなさん、そして父母保証人の皆様、本日はご卒業おめでとうございます。

 本来であれば、ここに在校生の諸君や来賓の方々をお招きして式を挙行するはずでしたが、ご存知のように新型コロナウィルス感染拡大を防止するために、このように簡易化した形で行わざるを得ませんでした。学校によっては、卒業生と教員のみの式や、式そのものを中止するケースもあるようです。しかし、われわれは、卒業生、保護者、教員で行うことを決断し、今日ここに式を挙行するに至りました。さまざまなご意見があるとは思いますが、学校生活を締めくくる大事な行事である卒業式をこのような形で行うことを何卒ご理解いただきたいと思います。

 私は本校に勤務して30年になりますが、その間このような形で式が行われたのは2011年東日本大震災の時でした。震災当日とそれに続く数日間の混乱は言うまでもありませんが、さらにその後の数週間、原子力発電所の問題や流通網の混乱による物資不足などで世情が殺伐とした雰囲気に覆われていたことは現在でもありありと記憶に残っています。むろん当時の状況と比較して現在を云々するつもりはありません。しかし、こうした先行きの見えない不安な状況にあるからこそ、きわめてありきたりな言い方になってしまいますが、「他人への思いやり」を大切にして欲しいと願っています。かつての体験を教訓として活かすことはわれわれの務めであると考えます。そして、高等科で3年間を過ごしたみなさんならば、このありきたりではあるが、実践することが容易くはない、「他人への思いやり」を保ち続けることの大切さを分かってくれるだろうと信じています。

君たちは高等科での課程を終えて、これから、より専門的な教育課程に進んでゆくわけです。とは言っても、それもとりあえずの通過点に過ぎないのかもしれません。自分が生涯をかけてやるべきことに辿り着くためには、これからもさまざまな試行錯誤が必要になるのだと思います。もしかしたら、その試行錯誤の果てに、自分が今まで考えてもみなかった場所に辿り着いているかもしれません。また、一つの道を辿ってゆくにせよ、壁にぶつかり、立ち往生してしまうこともあるでしょう。

私たちは君たちの個性を大切にして、将来その個性を土台にして自分自身の人生を切り拓いてゆけるようになることを何よりも大切に考えて来ました。ですからそれが本当に自分自身を活かせる場所であるならば、つまずいたり、転んだりしながらでも、そしてそれが傍から見てどんなに無様であろうと、その場所にむけて歩み続けて下さい。

 先ほど「先行きの見えない不安」ということを述べました。また、昨今新型コロナウィルスが、社会に与える影響を懸念する声がそこかしこで挙がっています。おそらく、この一連のウィルス騒動が終息した後でも、「不安」はその度合いを増しこそすれ、なくなることはないでしょう。社会を覆うこの不安に対して、それがまるでないかのように振る舞い、やり過ごそうとするのは、時代に対してあまりに不誠実な態度であると思います。そうした態度はいつか必ずその借りを返さねばならない時が来るでしょう。また、一方で、あまりに悲観的に考え、自暴自棄になってしまうのも、同じように不誠実なことだと思います。君たちには、社会を覆うこの「不安」に、真正面から向き合い、その「不安」のよって来たるところを見据えて、粘り強く考え抜く姿勢を貫いて欲しいと願っています。楽観もせず、悲観もせず、目の前の課題に真摯に向き合うことがわれわれに求められていることなのです。

 父母保証人の皆様、私たち高等科の教職員一同、ご子息のご卒業を心よりお祝い申し上げます。

彼らも高等科に入学して3年間が経ちました。高等科の入学式に新入生として参列していた日のことは、まだまだ記憶に新しいと思います。私も親として経験がありますが、高校の3年間は、本当にいろいろあった3年間だったのではないでしょうか。時には、はたで見ていて、ヤキモキしたり、ヒヤヒヤしたりすることがあったかもしれません。彼らはこの3年間、さまざまなことを体験して、今日卒業の日を迎えました。そしてこの目白のキャンパスでわれわれと同じ時間を共有したことが、よりよき成長の手助けになったとしたら、これほど喜ばしいことはありません。彼らはこれから自分の足で自分の道を歩いてゆくことになります。親としての心配はまだまだ続くと思います。また、われわれにとっても、卒業したからそれでおしまいだとは考えていません。というよりも、高等科での教育はこれからその真価が問われるのだと言っても過言ではないでしょう。そして10年後、20年後にそれぞれが、それぞれの豊かな実を結んでくれることを願っています。

3年間、学校運営のさまざまな局面にご協力いただいたことを心より御礼申し上げます。

 最後になりますが、卒業生のみなさん、この先何か困難なことに突き当たった時は、この高等科で過ごした日々を振り返ってみて下さい。きっと自分が進むべき方向が示されると思います。また、この3年間で築き上げた友人との絆を生涯大事にして下さい。みなさんにとってこの高等科が、いつまでも「特別な場所」であり続けることを心から願っています。

 以上をもちまして卒業式の告辞といたします。




2019年度 柔道納会

12月13日、講道館にて3年生の柔道納会が行われました。 

体育(柔道)の授業の総仕上げとして、全員で乱取り稽古などを行った後、クラス対抗で試合をしました。

優勝はB組Aチーム、準優勝はE組Aチームでした。

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