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卒業生からのメッセージ

高等科,そして留学生活を振り返って

荻原秀樹
〈略 歴〉
1999年 3月 学習院高等科卒業後,早稲田大学理工学部入学
2000年 9月 デニソン大学交換留学
2001年 8月 早稲田大学退学
2001年 9月 ペンシルベニア州立大学編入
2003年 5月 ペンシルベニア州立大学卒業
2003年10月 トヨタ自動車株式会社入社
2006年 8月 トヨタ自動車株式会社退社
2006年 9月よりペンシルベニア州立大学院に留学

 私はアメリカにあるペンシルベニア州立大学を2003年5月に材料工学専攻で卒業した.留学へのきっかけは高等科時代にあった.

 学習院には高等科入試に合格し,入学した.高等科時代の思い出というとサッカーを一生懸命やっていたということ以外あまり浮かばない.勉強は試験前に頑張る程度であった.サッカーの大会ではあまり良い成績を収めることができなかったが,3年間を通してひとつの事に熱心に取り込めたということは今でも誇りに思っている.

 親しい友人の一人が帰国子女だったこともあり,漠然とした留学願望があったのは覚えている.しかし,サッカー部での活動を続けたく,また絶対に行きたいと思うほどでもなかった.

 留学を目指すきっかけとなったのは,高校3年生になる春に参加したサッカー部の欧州遠征であった.初めての海外での体験は大変貴重なものとなった.すべてが違った.町並み,人々の振る舞い,食べ物.文化の違いというのはまさにこのことなのだと感じた.驚き,また他の文化に触れる楽しさがあった.と同時に外国人とまともにコミュニケーションをとれなかった自分自身に対する悔しさは今でも忘れていない.他の文化で過ごしてみたいと思ったのはそのときであった.

 高校3年生の最後までサッカーを続けていたこともあり,大学の最初から海外に行くことはできなかった.しかし,指定校推薦で入学した早稲田大学に交換留学制度があることを知り応募を決意し,応募条件であるTOEFL(留学生用の英語能力試験)の必要点数にむけ勉強した.大学でもサッカー部で活躍したいという思いもあったが,理工学部のため出席しなくてはならない実験などが多く,TOEFLの勉強とサッカーのすべてを満足にやり遂げるのは難しいと考え,サッカーを続けることを断念した.

 交換留学の試験に受かり,オハイオ州にあるデニソン大学という小さな大学に1年間,交換留学をすることなった.日本でしていた英語の勉強は,結局テストのための勉強でしかなく,最初は苦労の連続であった.サッカー部に入部したため,アメリカ人の中に混ざることはできた.しかし,アメリカ人が何を考えているのか分からないことが多く,極度のホームシックにもなった.この頃は溶け込めないことを語学能力のせいにしていた節があった.しかし,今思い返せば英語能力の問題というよりは,私の溶け込もうという努力が足りずに,相手に受け入れてもらえなかったようである.文化の交流には言葉の問題よりも相手の文化を受け入れようという気持ちが大切だということを体感した.

 徐々にアメリカでの生活にも慣れた頃に1年の留学期間が終わりに近づいていた.1年で得られなかったものをみたかった.また,1年目は英語のクラスを中心を取っており,小さな大学の為自分の専攻である材料工学の科目はなかった.自分の得意な分野を海外で挑戦してみたいという思いもあり,編入を決意した.そこで,早稲田大学のときの専門で私が興味を持っている電子セラミックス分野で定評のあるペンシルベニア州立大学に出願し,編入した.卒業までのこの2年間は専門分野を学びながらも他の文化にも触れられる私のとっては最適な環境であった.

 結果的に高校の同期の人たちより2ヶ月遅れての卒業となったが有意義な遅れだと考えている.3年間のアメリカ生活で文化の違いを体感できたことが一番の収穫だと思う.英語は日本でも学ぶことができるだろうがこの感覚は日本にいたら決して感じることのできなかったものだろう.まだまだアメリカ文化を分かったとも思えないし,そう簡単に分かれるとも思わない.文化はそんな容易に理解できるものではない.ただ,この3年間のアメリカでの経験が今後の社会生活に生きるときは必ずあると思う.また,生かせる自信もある.高校時代に憧れていた海外生活ができたことを大変嬉しく思っている.今後も常に何か目標を持ち努力していきたい. 

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