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卒業生からのメッセージ

学習院高等科とは?

田中 力
以下の文章は,新宿界隈の居酒屋で私(T)と私の友人(A)との間で交わされた会話をまとめたものです.学習院高等科を知るうえで,この拙い議論のまとめがほんの少しでも読者の方にとって参考になれば幸です.

<学習院高等科とは?>

     T: ところでさ,大学を卒業しようとしている今,振り返ってみると高等科はどういう学校だったかな.よく「自由な学校」って言われるけど,その意味は何だろう.
     A: 俺は高等科の持つ校風を一言で表すと,「自分のケツは自分で拭け」だと思うな.
    

     T: 汚い表し方だな.しかも抽象的じゃないか.どういう意味だよ.
     A: つまり,こういうことだ.「高等科は生徒が自分の好きなことをとことんやることをできるだけ容認し,応援する.そして他の面がおろそかになってもギリギリのところまで,例えば落第や非行の危機に陥りそうになるまで,干渉はしない」ということだ.俺の場合,高等科時代に部活動として野球をとことんやったんだが,勉強の方がおろそかになってしまい,成績があまり良くなかった.だから,野球のレベルが高い大学に行くために大学受験をしたんだが,とても苦労した.ただ俺の成績が悪くても学校側が,部活動をやめて勉強に専念しなさい,と干渉することは全くなかった.
   

     T: なるほど.でも僕の友達で,部活動をちゃんとやりながら,勉強もすごくできた奴がいたよ.受験に苦労したことを学校の校風のせいにしてはいけない.
     A: そんなことはわかっている.それに部活に対する情熱は俺の方が,その勉強も部活もよくできた君の友人とやらよりもはるかに強かったはずだ.
   

     T: 確かに...(笑)でも君の言うことはよくわかる.僕自身の経験に合わせても同じことが言えるからね.僕は,君が野球に打ち込んでいるとき,アメリカに1年間留学する機会を得た.ロータリー・クラブの青少年交換プログラムというものを通してね.僕は中学時代から海外の映画が大好きで,特に現代のハリウッド映画が好きだった.あのダイナミックさ,あの楽観的な世界観や単純な人生観,そして美しい金髪女性たち(!)に強い憧れを持っていて,当然アメリカという国に対しても憧れがあった.今考えると恥ずかしい限りなんだけどね...だから英語の成績だけは良かった.それで更に運の良さが加わって,アメリカに留学することができたんだ.それはそもそも,高等科という場所・校風が,映画を沢山見ること,英語を集中的に勉強すること,そして1年間留学することを許してくれるものだったからだ.
     A: そうだな.でも大学で本格的に勉強することになって,やっぱり君は感じただろ.「ハリウッド映画にうつつをぬかしている間に,もっと高校時代で勉強しておけば」って.もっと高等科が勉強することを促してくれていればと.俺は受験勉強時代そういう思いがあったからなぁ.
   

     T: 確かに.でもそういう風に思う暇があれば,大学で一生懸命勉強すればいいんだ.君が受験時代に頑張ったように.高校時代に英語を集中的に勉強し,ハリウッド映画にうつつをぬかしていたからこそ,僕は留学できた.そしてそれを許してくれた高等科という学校のおかげだよ,僕が留学できたのは.
     A: まぁね.それで君はその留学をもとに大学の勉強を頑張ったからこそ,大学でまた留学することができた.そして留学先でまた頑張ったから道が開けて,これから君はイギリスの大学院で勉強するわけだ.俺も受験で頑張ったからこそ,今の大学に入ることができた.受験で苦労したけど,高等科で何かに打ち込めたこと,俺の場合は野球だったんだが,それは本当に良かったと思っている.
   

     T: それにしてもその自由の校風のせいか,高等科にはいろんなことに打ち込んでいる奴がいたね.勉強を頑張っていた奴もいたし,学校の勉強そっちのけで,とにかく本を読みまくっていた奴もいた.三国志・日本の戦国時代のマニアなんかもいたなぁ.映画・音楽にはまって,さらに絵や詩を書いていた奴もいたし,異性との交流を頻繁に持って社会勉強に励んでいる奴らもいたな(笑)部活に打ち込んでいた人も結構いた.
     A: いたねぇ.
   

        T: そういえばね,この間テレビドラマの金八先生の再放送をたまたま見たんだが,三者面談で,勉強熱心な息子と有名大学に入学させるため息子を私立に入れたいと言っている母親を前に,たしか金八先生はこう言ったんだ.「勉強して良い大学に入るために高校は私立,私立とおっしゃいますが,公立の学校には勉強ができる学生もいれば,運動が得意な学生もいます.他にも例えば絵が得意な学生もいて,非常に多様性があるんです」とね.「多様性」という特徴を公立学校の専売特許にするんだから,金八も浅はかだなぁと思ったんだ.
   

     A: まぁ,金八先生が言いたかったのはおそらく,一般的な傾向として,ということだろ.でも高等科には確かにいろんな生徒がいるし,それによってそれぞれ生徒が自分の人生観をもっと広げることができる.それは非常に重要なことだと俺は思う.だから一般的な傾向のなかで,学習院高等科は例外として貴重な存在だと思うね.
   

     T: そうか.しかし教員室にもいろんな先生がいたな.在学当時は,授業で教えてくれることの面白さとか意味とか,あるいは先生たちの性格をちゃんと理解できなかった.今はそう思うよ.だから僕は大学を卒業した後,高等科でお世話になった先生に会いたいと思って高等科に行くことが今でもあるんだ.僕が会いたいと思うのは,なにも金八先生みたいな先生じゃないよ.誰かが言っていたけど,学校において求められているのは「良い教師」というよりも,「良い教師陣」である,とね.なるほどな,と思ったよ.つまり僕にとって素晴らしい先生は,必ずしも君にとっても良い先生とは限らない.だから生徒が多様性豊かな学校なら,なおさら多様な教師たちが必要だ.そういう意味では学習院高等科は,とても「良い教師陣」を持っているんじゃないかな.
     A: 君の「高等科教師陣」に対する評価はすごく高いな.でも,俺の高等科出身の友人は,在学時代高等科の先生とはほとんど交流が無くて,今でもわざわざ高等科に行って先生たちの顔を見たいとは別に思わないらしいぞ.そういった学生もいる,ということを無視するのはよくない.君が先生たちと交流があったのは,留学をしたから,それに伴ういろんなことで先生たちにお世話になったからだ.俺の場合は,野球をやっていたから部活動で先生たちとの交流があった.他のことに打ち込んでいて,そういう先生との交流の機会がない学生だっている.
   

     T: 確かに君の言うとおりだ.でも僕は教師陣の評価なんて,そんな偉そうなことをやるつもりはない.あくまで僕の経験に基づいた意見だ.それに先生との交流はやっぱり自ら作り出さなくてはならないと思う.自分から授業の質問や進路相談などで先生にアプローチすれば,先生との距離は近くなるんじゃないか.もちろん,全ての生徒が同じ先生にアプローチしても皆が幸福になるわけではない.やっぱり先生と生徒という人間関係にも相性というものがあるはずだから.だからこそ,いろんな人生観を持った先生がいることが大事だと思う.高等科は生徒が先生に相談することを全然規制したりしないし,そういった雰囲気もない.高等科はある意味,生徒を "Laisser faire" 状態に置くけど,先生に何かしらのアドヴァイスを求めれば,それを与えてくれる.
     A: まぁ確かに俺もそう思うが,そう言えるのは今俺たちが卒業したからだろう.在学当時は,やっぱり生徒というものはズカズカと先生に近づいて行けない.それに先生に相談にのってもらえれば万事良し,ってことでもない.
   

     T: うん.先生に失礼な態度は良くないし,相談をすれば先生はいつも素晴らしいアドヴァイスをくれるというのは「神話」だ.それも日本特有の神話かもしれない.人格的に卓越したスーパー先生がいて,それに生徒が感動してついて行く,というイメージだよ.僕が言いたいのは,高等科においては生徒が先生に相談や質問することを禁止されていないということ,そして先生は人生・学問の先輩としてアドヴァイスをくれる,ということだ.ただ,これらは自分から求めに行かねばならないものだ.これも僕の経験から言えることだよ.
     A: わかった.ところで君が今でも高等科に行くときは先生たちに近況報告をするわけだろ.この居酒屋での飲みの最後に,僕にもそれを聞かせてくれよ.君は高等科時代に留学し,大学時代にも留学した.そしてこれからまた大学院留学しようとしている.これまでの君自身の留学経験を踏まえて言えることは何だろう.
   

     T: とても一言で答えられる質問じゃないな.でも君は今大学生だから大学に関連することを言おう.これは僕が非常にお世話になった日本の大学教授の言葉だが,僕もそう思うからそのまま引用して言うよ.つまり,「現在,高等教育は海外の大学で懸命に勉強して初めて修了するものだ」ということだ.僕は学習院高等科を卒業し,そのまま学習院大学に進学した.学習院大学はイギリスのオックスフォード大学マートンカレッジと協定留学の関係を持っているから,その協定留学で僕は留学したわけだ.しかし,そこでの勉強量には本当に苦しめられた.覚悟はしていたんだけどね.向こうでの勉強については,他のところで既に書いたから,以下のサイトを家に帰って時間があればまぁ見てくれ(http://www.gakushuin.ac.jp/univ/cie/nl12.pdf 2‐3頁).僕は学習院大学に籍を置きながら,有名私立大学のW大学でも,また国立T大学でも講義を受けた.合法的にね(笑)だからただ単に自分が在籍した大学での経験だけに基づいてこう言っているんじゃないぞ.
     A: つまり日本の大学に比べて海外の大学の方が圧倒的に学生に勉強させるということか.日本の大学の教育はなっていない,ということだな.君は,いわゆる西洋かぶれじゃないか.そもそも,とことん勉強すればすべて良しということではないだろう.時代がそういう人材だけを求めているわけではない.就職活動でもしてみろよ.大学でとことん勉強しました,させられましたって企業の面接で言ってみな.「はぁ,そうですか.それで?」と言われて一蹴されるのがオチだ.日本の大学は,「レジャーランド」だと言われていた時があったけど,それにはそれの良さがある.大学で学んで成長する,ということは何も図書館にこもって1日15時間勉強することじゃない.勉強を通して何を学んだか,それが重要なんだ.つまり,大学あるいは短大で何かをやって,学んで,得て,そしてそれを磨いていくということが重要だ.それは勿論勉強でもいいが,勉強じゃなくたっていい.部活で学ぶことは多い,課外活動で学ぶことは多い.もちろん勉強でもいい.こういうことをやってきて,それをちゃんと表現できる人材を社会は求めている.そういう意味では,いろんなことに打ち込めることを許す日本の大学は非常に良い環境じゃないか.
   

     T: 大学という場所は高校とは違う.たしかに「海外(特に欧米)の大学」すべてが日本の大学より優れているとは言えない.でもやはり有名大学は,ちゃんとした学生を社会に送り出したいというプライドがあって学生によく勉強させる.もちろん,その要求に応えない学生もなかには当然いるが.君がいう人材は,「社会」が求めているんじゃなくて,日本企業一般が求めているんだろう.さらにそういう考え方は大学を就職予備校にしてしまうんじゃないか.また,こう考えることもできないか.つまり日本の大学が学生を一生懸命勉強させなくてもよい環境になってしまったからこそ,企業は学生として本来の仕事をせずに他のことに打ち込んでいた人間を求めざるを得なくなってしまった,と.そもそも大学とは一体どういう機関だったか.僕の留学先の大学にも部活動をやっていた学生は沢山いた.しかし,彼らは部活動だけではなかった.
     A: 過去において大学への意味づけが違っていたというのは当たり前だ.俺は,時代の変化によってそれも変化した,ということを言いたいんだ.社会の変化によって大学に求められることも変化する.それにイギリスにはイギリス,日本には日本独自の「教育方法」があっていいだろう.日本の大学が,例えば君の留学先の大学よりも学生に勉強をさせないからと言って,日本の大学を全否定することは非常に狭い視野のなかで判断した結果に過ぎない.
   

     T: 日本には日本の,イギリスにはイギリスの,という考え方こそ狭い視野のものじゃないのか.そんなことを言っていると日本は世界に取り残されてしまう.よし,わかった.この点については,この居酒屋を出て,場所を変えて改めて話し合おう.ただ僕も認めることは,環境がすべてを決定しないということだ.環境は非常に重要だ.これは間違いない.でもその所与の環境のなかで,いかに自分が努力するかによって未来は変わると,まぁ若造ながら思うよ.日本の大学に行ったからよし,あるいは駄目,海外の大学に行ったからよし,あるいは駄目ということじゃない.
     A: そんなことは当たり前だ.さぁ,さっさとここを出て,違う居酒屋に行くぞ.
   

     T: 体育会系の学生はやっぱりよく飲むなぁ.それも大学で学んだことか... (終)
 

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