2008年度卒業生 高塚恒平
僕は今年の3月に高等科を卒業し、夏からアメリカ合衆国アイオワ州のGrinnell Collegeという大学に進学する。日本の大学は1校も受験せず、ひたすら米国大学への進学をめざしたが、決してそれを前々から決めていたわけではない。実は、そのような選択肢は高等科2年生の夏までは僕の中に一切無かったのだ。僕は高1の8月から高2の6月までの10ヶ月間、アメリカ合衆国、ネブラスカ州に留学をした。2歳年上の兄がやはりこの時期に留学していたことや、高等科の先生方が留学に対して非常に大きなご理解や後押しをしてくださったことが決め手となった。
中等科時代の僕は絶えず勉強に追われ、主管の先生に「心に余裕が無い」「アップアップしている」「ハンドルの遊びが無い」「世界が狭い」などとさんざん言われ続けて来た。
そのため、この10ヶ月の留学中は成績などは気にせず、とにかく「楽しむ」ことを心がけ、アメリカでしか経験出来ないことにたくさん挑戦しようと決意した。
出発前に母に言われた。
「やるか、やらないかを迷った時はとにかく思い切ってやってみなさい。行くか、行かないかを迷った時は必ず行きなさい。そこから何かが生まれるかもしれないから。やらずに後悔するより、やって失敗した方がずっといい。何度でもやり直しはきくし、その度に人間的にぐんと成長できるのだから」
と。この言葉を僕は心に深く刻みつけた。
さて、ホストファミリーの家は地平線が目の前に広がる大自然の中にあり、どこまでも果てしなく続く大草原では牛や馬、アヒル、犬、猫などがゆったりと生活していた。夜には満天の星がきらめき、時間がゆっくりゆっくり流れるように感じられた。
学校ではダンスパーティーに参加したり、アメリカンフットボール、バスケットボール、陸上、野球などのクラブチームにも積極的に参加し、泊りがけの遠征もした。
そして、「やってみる?」「行く?」と聞かれた時はもちろん迷わず「Yes!」と答えてとにかく全てに挑戦してみた。
そのおかげで友人も大勢でき、勇気や自信が持て、世界が大きく広がり、この10ヶ月間で僕は人間的にかなり成長できたように思う。せかせかと時間に追われるだけの今までの生活を味気なくも感じた。
しかし、高2の6月に帰国した僕は、現実問題として将来自分が何をしたいかを見越して選択科目を決め、その先のこともそろそろ真剣に考えていかなくてはいけない時期に来ていた。
そうは言っても、僕はまだその時点では安易に大学4年間の専攻科目を決めたくは無かった。幅広い分野のことを実際にやってみた上で、その中から本当に自分がやりたいこと、自分に一番合ったことを見つけたいと考えたからだ。
また、授業は、大人数クラスで教授の講義をひたすら聞くような受動的なものでは無く、アメリカの高校で経験したような、少人数制の能動的なディスカッション形式を強く希望した。
僕は約2週間ほど色々と調べ、何人かの専門家の話も聞き、アメリカからも資料を取り寄せ、最終的に、上記の条件を満たしてくれる「リベラルアーツ・カレッジ」への進学の意思を固めた。高2の7月のことだった。
「リベラルアーツ・カレッジ」とは、かのヒラリー・クリントンさんも卒業した少人数の全寮制の大学の総称である。一般教養を重視し、2年生の終わりになるまでは専攻を決めなくても良いというのが大きな特徴である。
僕は、200程あるリベラルアーツ・カレッジの中から「全米ベスト20位以内」の大学にターゲットを絞り、7校に願書を出した。
合否は、高校3年間の成績や活動、先生方からの細かな記述の推薦状、TOEFLとSATの点数、そして英文エッセイなどによって決定される。
中でも「英文エッセイ」は最も重要視される書類である。A4用紙一枚半くらいの短い自由題のものなのだが、僕はこれに3ヶ月以上を費やし、何回も何回も推敲を重ね、やっと満足のいくものを書き上げることが出来た。また、出願する7大学、それぞれ別の内容での補足エッセイも添えた。
TOEFLは英語を母国語としない人のための英語の試験、SATは日本で言うセンター試験のようなものだ。高2の9月からTOEFL、高3の4月からSATの勉強を始め、TOEFLは計9回、SATは3回受けた。
これらのテスト勉強はもちろんかなりハードだったが、勉強すればするほど努力が報われて点数が上がっていくし、自分で目標とする点数に達するまでは決して妥協しない粘り強さが大切だ。自分との闘いに勝って初めてその先の夢が実現するのだと言い聞かせた。
学校の成績や席次ももちろん非常に重要で、僕はトップでいることを自分に課したので、定期試験前はひたすら学校の勉強に専念した。
何事も「具体的な数字」を自分に課し、それを達成するまで決してあきらめずに不断の努力を続けることが重要だと思う。
おかげで運よく良い結果に結びついたが、僕はこのことに関し、「学習院高等科」にも心からの感謝をしている。
高等科の先生方は、内部進学を辞退して他大学への進学を目指す生徒に対しても非常に温かく、心からの支援、協力をして下さる。これからの厳しい時代を生き抜いていかねばならぬ我々生徒のことを、心底真剣に、そして親身になって考えてくださっているからだ。
その懐の深さ、生徒に対する愛情に感激し、なるほどこのような環境の中でこそ「広い視野」「たくましい創造力」「豊かな感受性」を持つ人間が育まれるのだと痛感した。
僕も、個人的にずいぶんと相談事をさせていただいた先生がいらっしゃる。その先生はいつも励ましてくださり、支えてくださり、休日や深夜の電話にも長々とおつき合い下さった。僕は、どのような言葉でお礼を申し上げたらよいか分からないくらい感謝している。
そのようなわけで、僕のリベラルアーツ・カレッジ進学は、「学習院高等科に在籍していたからこそ実現した」と言っても過言ではない。
このような非常に恵まれた環境にいる後輩の方々。是非己の目標をもち、自分を信じ、努力を重ね、各自の夢の実現にひたすら突き進んで欲しいと心から願っている。
そのために、もしもお役にたてることがあるならば、僕はどのようなことでもさせて頂きたい。
学校に対し、先生方に対し、後輩の方々に対し、微力ながら少しでも恩返しをさせて頂くこと。そのことこそが今後の僕の新たな課題でもあるのだから。