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卒業生からのメッセージ

21世紀における創造的ゾンビ考

2006年 4月 学習院高等科 入学
2009年 4月 学習院大学 理学部 物理学科 入学
2013年 4月 筑波大学 数理物質科学研究科 博士前期課程 入学
2015年 4月 筑波大学 数理物質科学研究科 博士後期課程 入学

鈴木 遊


 面白いSFには条件がある。
 人を納得させるようなリアリティが、映像作品であれ文学作品であれ、真に迫って観客に提供させねばならない。それがたとえSFという、非日常を描く真っ赤な嘘であったとしても、である。
 どちらか片方の要素が欠けていると、それは忽ち駄作となってしまう。
 荒唐無稽なだけではならぬ。
 月並調でもならぬ。
 要はそれらの塩梅が肝心なのである。

 20世紀の終わりから21世紀のはじめにかけて、ロボットによる世界の支配を描いたSF映画が一世を風靡した。
 アクションシーンへの評価も勿論だが、何よりストーリーが評価されたのだろう。
 面白いストーリーだったのであろう。
 私も勿論そう思うし、売れたのだから多くの人がそう思ったに違いない。

 ではロボットが支配する世界というものの、どこに我々は現実味を感じたのか。
 無論、真面目な顔で話すようなことではない。
 本気でロボットが人間を支配すると考えているのならば―莫迦である。
 荒唐無稽だ。
 与太話である。
 だが、売れたのだ。面白かったのだ。このSFは。

 似た話をしよう。
 ガリバー旅行記第3篇はラピュータが登場することで有名だ。
 これは18世紀のイギリスの、当時の人々からすれば現代でいうところのSF小説であるが、それと同時に風刺小説でもあった。
 これがまた、たいそう売れた。
 評議会から子供部屋、遍くところで読まれたとまで言わしめたほどである。

 ラピュータは産業革命の権化だ。
 住民は皆、科学者である。
 彼らはいつも科学の発展を夢見て、飽くことのない思索に耽っている。
 一方ラピュータに住むことができない一般の人々は、荒れ果てた地上バルニバービで搾取され苦しい生活を余儀なくされている。
 産業革命の成功を受け技術革新にひた走る当時の社会を、天上の首都の病的な科学観を通して、スウィフトは「リアルに」描いたのである。

 この物語もまた、面白いSFであったのだ。
 彼らは何も旅行記そのものに魅せられていたのではない。
 それが見せるリアルさ、いわゆる「ありそうでなさそう」という感覚に、どことなく産業革命という世相を取り込んだその活劇に、彼らは魅せられていたのである。
 現実とは社会である。
 現実とは世相である。
 背後にそれらを背負いながら、なお荒唐無稽な世界を作り上げてしまうことこそが、「現実味」のある面白いSFに結びつくのだ。

 よく似てはいないだろうか。
 技術の進歩と、それによる支配。
 当時の人々は、物語を勿論小説として読んでいる。
 感情移入されるべきはバルニバービの人々であり、彼らの敵は天上の科学者であってその文明、機械に他ならない。それらはちょうど、我々が映画を面白いと思ったその感覚、その視点と対応している。
 機械の視点に立つ人間などいないし、面白くはないだろう。
 機械によって支配される人間の、その恐怖こそが我々のリアルであったはずだ。

 21世紀における、機械への恐怖のその根源とは何であろうか。
 ガリバー旅行記との類似を見れば答えは明らかだ。
 機械への恐怖とは、即ち職を失うという恐怖である。
 機織職人が紡績機に取って代わられたように、我々の仕事もまた機械によって代替されつつある。
 ボーリングのピンは人が手動でセットしていた。
 街灯は人が手で灯していた。
 電話は交換手と呼ばれる人々が中継を手で行っていた。
 20世紀も半ばの話である。
 切符を「切る」必要は今やほとんどの地域においては、ない。
 活版印刷は趣味や拘りの域になりつつある。
 証券の取引はもはや完全にオンラインだ。
 21世紀の話である。

 このような傾向は紛れもない事実である。これからの時代に生きる人間は、否応なく向き合わねばならぬことである。
 結果として、我々の仕事は機械によって二つに分断されてしまった。
 機械ができない、俗に云う「創造的な」仕事。
 機械化が意味をなさないような肉体労働をベースとした仕事。
 仕事の貴賤を問うているわけではない。選択肢の話を論じているのである。

 芸術は機械には無理だから崇高だとか、車掌は無くなりつつあるから価値がないとか、そのような話ではない。
 20年後に弁護士が要らなくなるだとか、いやそんなことはないとか、そのような話ではない。
 機械化を推進することで資本主義が終わりを迎えてしまうとか、そのような話ではない。

 そのような話は悉くつまらない三流のSFである。
 仕事というものは遍く同じ価値を持っているものだ。
 況やその未来を語ることをや、である。
 誰が何と言おうと、なるようにしかならぬものだ。
 それを論じることに意味などない。

 だが選択肢の多寡は別の話である。
 社会に出ようとしたとき、たった一つの道しか残されていなかったとしたら、今就いている職以外に全く選択肢がないとしたら、それは実に―

 危ういことであろう。

 そのような事態を避けるために必要なことは、ものは、何であろうか。
 「才能」ではない。
 社会は人が作り上げたものである。ならば後天的なもの―教育が肝要なのだろう。

 その点において、私は幸いであった。
 高校の2年生の段階において、物理という学問を志すための選択肢がすでに与えられていたからだ。
 物理学以外の道がなかったということではない。歴史、経済、文学、様々なものに興味がある中で、物理というものに特に惹かれたからである。
 多くの学友がそうであったように、私もまた多くの選択肢の中から物理という道を選んだ―否、選べたというべきだろうか。

 学習院高等科とは、そのような場所である。

 月並な問いをしてみよう。

 学校の勉強は、果たして社会で役に立つのだろうか。
 この問いかけは、しばしば論争の種となる―らしい。
 この種の誤解は言葉の定義の曖昧な理解によるところが大きい。次の似た問いを考えれば瞭然である。

 学校の教科書は社会で役に立つのだろうか。
 2つ目は否、1つ目は正だ。

 高等科1年の地理の授業のときである。
 教室に入ってきた先生は簡単な自己紹介を終えると、黒板につらつらと授業内容を書き始め―なかった。
 先生は扇状地や三角州の成り立ちを、ただとうとうと語り始めたのだ。
 板書を行うのは、漢字を伝えるときや簡単な絵解きのときのみ。
 寝ていた学生も多かったように思う。
 よく分からぬと言っていた学生もいた。

 私は―

 他のどの授業よりも多くのノートをとった。
 正直なところ、地理という分野それ自体に大した興味はもってはいなかった。
 しかし、その授業自体は大変面白かった。先生の言を漏らさず聞き取り、どれだけの情報をそこから得られるかという挑戦は、魅力的に過ぎたのであった。

 人の言葉から情報を得る能力は、勿論社会で役に立つ。必須であるといえる。
 一方で扇状地の成り立ちを知っていることは、別段役には立たない。
 これが答えだ。

 このことは模倣とコピーという2つの言葉で特徴付けられる。

 また一つ問おう。

 写実主義の風景画と写真は同じものなのだろうか。
 風景画の筆致が非常に精巧であったとしよう。
 丹念に丁寧に誠実に、写実に写実に風景を描いたとしよう。

 ならばそれは―写真と呼べるだろうか。
 それを描いた芸術家は写真家と呼ばれるのだろうか。

 ―否である。

 風景を描くという行為は、いわば自然を模倣することだ。
 写真を撮ることは、自然をコピーすることである。

 一見似たこの二つの行為は、その目的を全く異にしている。
 模倣とは、形を作るための「意志」即ち型を模するということだ。
 コピーとは単に形を模するだけである。

 地理の授業では、先生がかつてそれを学んだであろうその方法論をこそ学んだ。
 コピーとは教科書を読むということである。

 少しだけ自慢話をさせてもらおうと思う。
 私が中学生だったとき、私は勉強が嫌いであった。
 どうしても面白いとは思えなかったのだ。
 それでも形くらいはすればマシというものだが
 
 ―厭なことはやらぬ主義であった。

 中学生から学業をとってしまえば、大したものは残らない。せいぜい諾々と時間を費やすことくらいしかすることがない。創造性の欠片もない生活である。
 まさにゾンビである。
 当然、成績は目も当てられない。テストのたびに職員室に直行である。

 高校へは行きたかったので付け焼刃程度には勉強したが、所詮はその程度だった。動物もいい所である。
 しかし、高校の授業は何か楽しいような気がした。勿論、莫迦であったから1割も理解できてはいなかった。だが、面白いのであろうことは伝わった。
 だから追いつこうと勉強した。半年で平均以上にはなれたし、1年後には上位陣と言ってよい成績をとることができた。

 気付いてみれば―
 勉強が楽しくなっていた。
 学ぶということの意味がおぼろげながら判然としてきた。
 そして、その延長にいまの私の研究者としての人生がある。

 教科書だけからでは、決して学ぶことがなかっただろう。

 教科書を学ぶということは、つまるところその程度のことなのである。
 コピーとは大量生産であり、迅速実行が要だ。
 そんなことは―それこそ機械ならば、
 文字通り瞬く間に終える作業である。

 中学3年間程度を巻き返すことは、私にとってさえ造作もないことであったのだ。
 一方、模倣は一時にしてならずだ。高校の3年間を経て、大学で過ごすうちにようやくその意味合いが見えてきたものだった。

 別の思い出深い例を挙げておこう。
 高校3年生の時の数学の授業でのことだ。
 先生は2学期分の授業を1学期の間に終え、2学期では ε-δ 論法を英語の資料を使って教え始めたのである。
 ε-δ 論法とは極限の数学的に厳密な定義で、普通は数学科の大学生が四苦八苦しながら学ぶものだ。無論、正気の沙汰ではない。
 ほとんどの学生は理解できなかったと思う。

 だが一部の学生には非常に好評であった。数学そのものの面白さに感銘を受けた者、英語の文献を読む力が付いたと言う者、あるいは論理的思考力が鍛えられたと言う者、彼らは多くのことを学んだのであった。
 ε-δ 論法は社会に出て役に立つことではない。
 その過程で、彼らは教科書読みからでは決して得ることができないことを学んだのだ。

 同様の例はいくらでも出てくる。

 テスト問題のほとんどが論述の歴史のテストがあった。
 校舎の1階から4階までを使った化学の実験があった。
 映画を見せた現代文の授業があった。
 受験生を全滅させた数学のテスト問題があった。

 数え始めれば枚挙に暇がない。

 批判されるところもあろう。
 つまらないと感じた学生もいたことだろう。
 カリキュラムとしては問題があったかもしれぬ。

 ―ただ

 私にとって面白かったことは事実である。
 私にとって得るところがあったことは事実なのである。

 学習院高等科とは斯様な場所であった。

 学業のことを些か多く書いた。
 だが、このページの他の文章を読めば、高校時代の実に様々な出来事から多くのことを学んだ学生がいたことがわかる。
 学校行事、クラブ活動、小説、ゲームなど多岐に渡っていることだろう。

 重要なことは、その多様性が―その選択が許される環境があるということである。

 高校生ともなれば、もはや子供ではない。
 何を選び、何を捨てるのか。その選択の自由が与えられるべきである。
 高等科の自由な校風は、それに最適な環境なのだ。

 受験を考える中学生は、自らの選択肢を増やす方法を選択すべきである。
 何が正しいということはない。
 学習院のような場所で、「学問の模倣」から学ぶことも良い。
 進学校に進み、目指す大学のために教科書から学ぶことも良い。
 だが、それらの違いを考えることは必要だ。

 在学生の諸君は、自身を持って選択してほしい。
 多くの先達がそうであったように、学習院では主体的に動けば多くのことを学ぶことができる。
 何を選択するかは個人の裁量にゆだねられている。だがそれは、必ずや将来の選択肢を増やすための肥やしとなるはずだ。

 この拙い文章がこれから様々な選択を行っていく中・高校生の一助となれば幸いである。
 そして、もし機会があれば高等科を卒業したOBに遭ってみてほしい。
 彼らは多くのことを学び、そして社会で活躍している。彼らの選択は機械がなし得ないだろう実に創造的なものであったはずだ。
 そしておそらく、下手糞なSF小説から出てきたかのように荒唐無稽な性格をしているはずである。普通の人だという印象は受けないだろう。
 勿論ほめ言葉である。
 だが心配は要らない。彼らは間違いなくベストセラー商品なのである。

 では何故、彼らのような人間が魅力的に映るのか。
 何故、彼らが一様に成功を収めえたのか。

 何も別段不思議なことではあるまい。

 よく言うではないか。事実は小説よりも何とやら、と。

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