国際交流
Student Global Leadership Institute 2016に生徒を引率して
SGLI(Student Global Leadership Institute)の概要と感想


ハワイ プナホウスクール SGLI(Student Global Leadership Institute) に参加して
7/19(日) | 7/20(月) | 7/21(火) | 7/22(水) | 7/23(木) | 7/24(金) | 7/25(土) |
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到着日 Welcome meeting | Intro Activities Equity game 等 | Ice-breakers Asia Pacific Center for Security Studies訪問 | 講演会 Community Night 等 | 情報交換 メンターと会う | 講演会 Equity Game | Scavenger Hunt Student Social Activity |
7/26(日) | 7/27(月) | 7/28(火) | 7/29(水) | 7/30(木) | 7/31(金) | 8/1(土) |
自由行動 | 日の出の見学 マングローブ伐採体験 | ボランティア体験(1) | ボランティア体験(2) | 最終プレゼン準備 | 最終プレゼン パーティー | 帰国日 |

留学することの意義


何のための留学か
帰国報告会スピーチ
高等科3年 相馬弘太郎
2010年~2011年 イタリア留学
に留学私は、ドイツに住んでいる姉や実際に留学をした先輩の影響などで留学を決意しました。派遣前の私の留学に対する期待は非常に大きく、日々出発を心待ちにしていました。しかし、私の留学は最初からトラブルに当たってしまいました。本来ならば夏前にイタリアから届くはずの書類がいつまで経っても届かなかったのです。そのため、ビザを申請する事もできず、ひたすらイタリアからの書類を待つという状態が続きました。同期の仲間が次々と旅立っていく中で、彼らを見送りながら一人書類を待つというは非常にもどかしかったです。私自身も直接イタリアのロータリーとコンタクトを取ろうとしましたし、青少年交換委員会のロータリアンさんも尽力してくださったのですが、イタリアのロータリーは重い腰をいつまでも上げず、ついに10月になってしまいました。そして、ついに日本のロータリアンさんが痺れを切らし、書類を待たずにビザなしで旅立つ許可がおりました。早速飛行機を手配して、イタリアへ向けて出発したのは、10月24日のことでした。辛い時期でしたが、今ではその経験も私を大きく成長させてくれたものと思っています。そのような状況は自分ではもうどうしようもないので、焦る事はやめてそのときの生活を最大限に楽しむようにしました。その時期に読んだ本や、考えた事のおかげで、イタリアに行ってからは悩みながらも1年間楽しみ切れたと思っています。
ちなみに、最終的に現地でビザを取る事は出来ず、滞在許可書も受け取る事は出来ませんでした。ロータリーのサポートを受け、滞在許可書を特別に頂けるという話になったのですが、最後まで申請中の状態で終わってしまいました。つまり、合法的な滞在だったのかと聞かれると少し怪しいです。当時は非常にドキドキしましたが、今となってはもう笑い話です。
では、私が派遣された場所について少し説明させてもらいます。私が派遣された場所は、イタリアのサルデーニャ島という島の首都でCagliariという街でした。その街は島で1番大きな街で、海に面していて、古い城跡や建物が数多く残っている非常にきれいな街です。サルデーニャ島は、シチリア島の北西にあり、フランス領のコルシカ島のすぐ南に位置しています。有名なリゾート地であり、ハリウッドスターなどの世界有数のセレブたちもバカンスに来るような美しい海があります。真っ白な砂浜に、輝く太陽、古く美しい街並み、魅力的な女性たち、「これがサルデーニャか」と恐れ入ってしまいました。
また、Cagliariとその周辺には自分の他に留学生が7人ほどいました。彼らとは、本当に親密になり家族同然の仲となりました。アメリカ人が多く、他はカナダ人、スェーデン人、アイスランド人でした。私は唯一のアジア人でした。
学校の友人やホストファミリー、留学生の仲間たち。私は留学中に本当に多くの人と出会いました。様々な人々とイタリアで生活していく中で、非常に多くの事について考えさせられました。その中でも最も印象に残った事について話をさせて頂きたいと思います。
それは、日本人についての話です。
私は、海外に一人で放り出されて初めて自分が日本人であると意識しました。知らない人に出会い、1番最初に自分の国を聞かれる。すごく単純な事ですが、今までに無い体験で新鮮でした。そして、日本に興味を持ってくれた人はさらに詳しい話を聞きたがります。日本の政治体制や天皇について、また東京の人口や生活様式について様々な事を聞かれました。そのような経験を通して感じた事の一つは、 自分が如何に日本に対して無知であったかということです。日本の天皇や政治システムについて説明してくれと言われたときに、私はうまく説明できませんでした。また、東京の人口を聞かれたときにも答えられませんでした。
そして、またあるとき私が留学生仲間とカフェで話をしていたときの話です。知り合いのある可愛い女の子について話していたと思ったら、突然オバマ政権や、アイスランドの経済危機について彼らは話し始めました。彼らが特別に真面目な訳ではありません。普段は一緒にふざけた事をする友人たちです。しかし、自分たちの国について、また他の国についても意識的に知識を拡げていました。16、17の子供たちが政治や経済について自然と話しだすというのは、日本では見た事の無い光景でした。
恥ずかしい話ですが、私は今までずっと日本にいたのにも関わらず、日本について興味を持ったことはありませんでした。また、世界の他の国に対しても、意識的に知ろうとはしていませんでした。日本という国がどれほど小さくて、日本人という人々が普段どれほど自分たちの国について知らないのかということを痛感しました。
現在日本では、詰め込み式の受験勉強が流行しています。もちろん、それも意味のある事だと思います。しかし、それ以前に日本の歴史や政治、経済、文学など日本人として知るべき事があるのではないかと思いました。そして、この差がいずれ大きく国家の力の差として出るのではないかと思いました。
私はこのような事を肌で感じられた事に非常に感謝しています。これはまちがいなく留学したおかげで気付く事のできた事であり、今の私に、そして多くの日本人にとって必要な事でもあります。
このような大切な事に気付かせてくれる貴重な体験は、これからの私の人生の中で必ず役に立つ日が来ると思います。高校の間に1年間海外で生活をするという事は少しばかり勇気がいる事かもしれませんが、真剣に取り組めばそれで得る物は計り知れません。人として大きく成長できる機会を与えてくださった学習院には心から感謝しています。
ヨルダンに留学して
僕は一年間ヨルダンに留学をしていました。最初は行きたくなくて本当に嫌でしたが、今では行ってよかったなと思います。普通の人が行けるような国ではないので、父が働いていたことを幸運に思います。
ヨルダンはイスラム教が根強く人々の生活の中にあります。信教の自由がありほぼ無信教に近い日本人には理解しづらいものがありますが、酒を飲むようないい加減なイスラム教徒でも必ずといっていいほどラマダン(断食)は守りますし、葬式や結婚式のスタイルもイスラム教のものです。
ヨルダンはイスラエルとイラクの間に位置していていますが、これだけを聞くと危険な国に聞こえますが、非常に安全な国です。むしろ日本のほうが治安の悪い国のように感じるほどです。というのもヨルダンには他国から魅力的に見えるものが皆無なので、他国から狙われる心配がないからです。僕はこのような国ヨルダンにいました。
ヨルダンの学校は王立で、皇太子やアメリカ大使の息子など、数々のVIPがいました。そのおかげでセキュリティーに関しては文句のつけようのないものでした。学校の授業はすべて英語で、先生の半分くらいはアメリカやカナダの出身の先生でした。先生は皆さん優しく、英語ができない僕にとても親切にしていただきました。
一年間は本当にあっという間に過ぎていきました。僕はヨルダンが大好きです。