令和7年度 入学式

令和7年4月8日、入学式が行われました。

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令和7年度 入学式 科長告辞

新入生の皆さん、父母保証人ご家族の皆さま、学習院高等科入学おめでとうございます。

今年は四月を待たずにソメイヨシノが満開となりましたが、その後の天候の助けもあり、桜たちは皆さんの入学を待ってくれていたようです。この目白の森ではこの先も桜の季節がわりあい長く続き、いろいろな桜が次々と咲いて新入生を迎えてくれます。二月の試験を突破した諸君31名、中等科からの進学者173名、合わせて204名の新入生が今日ここに、新しい高等科のメンバーとして加わりました。教職員一同ご入学を心よりお慶び申し上げます。

新入生諸君は今日を新たな気持ちで迎えたことでしょう。その気持ちを覚えておきましょう。高等科生活が夢にあふれたものとなるように、学校としても努力して行きたいと今改めて感じています。

本日は来賓として、学校法人学習院 耀英一院長、平野浩専務理事、島津忠美常務理事、城谷俊一郎常務理事、佐藤吉孝常務理事、学習院桜友会 諸戸清郎会長、学習院父母会 大木喜紀副会長、学習院中等科高等科櫻友会 斉藤正彦会長にご臨席を賜っています。ご来臨まことにありがとうございます。

 昨年度、社会と学校はいわゆるコロナ禍からは脱け出したものの、インフルエンザやその他の感染症の影響を常に気をつけねばならな状況が続いています。本日の入学式では、全体として一斉の対策を行ってはいませんが、必要に応じてお互いへの配慮を心がけてください。ご理解をよろしくお願いいたします。

ご存知のように学習院は歴史ある学校で、弘化四年、京都に開かれました。明治十年(1877年)、東京・神田錦町に改めて開設され、以来今日まで社会のリーダーを輩出して来ました。2027年に創立150周年を迎えます。現在は耀院長の下、二年後の150周年を目途に、その先の未来に向けての準備としてさまざまな計画を策定し実現に向けて検討しているところです。

その学習院が掲げる理念は「ひろい視野 たくましい創造力 ゆたかな感受性」という三つの言葉に表現されています。広い世界をよく見て、敏感に感じ取り、創造的な発想を巡らせることを表しています。この三つの言葉を日々の生活に活かすための鍵となるのは、学習院が私学として再出発した時期に学習院長をお務めになった安倍能成よししげ先生の残された「正直であれ」という言葉であると私は考えています。安倍先生は哲学者であり、文部大臣として戦後日本の教育再興に尽力され、その後、新しい教育制度の下で院長として学習院の在り方を示されました。この後に今日は一番だけを歌う院歌を作られたのも安倍先生です。正直とは、嘘をつかない、ということですが、それだけの意味ではなく、自分の都合や主観的な見方を優先させることなく、事実をありのまま捉えて受け容れようとする態度を指しているのだと思います。これまで皆さんは、多くの場面で自分の考えをしっかり持つことを望まれてきたと思います。自分の考えを持つことはとても大事です。ただこれから出会ういろいろな人はそれぞれに自分の考えを持ち、多くの場合それらは互いに異なる考えです。人と自分の考えの違いに驚くこともあるでしょう。その驚きこそが出会いなのです。問題は、異なる考えを持つ集団で一定の合意を如何に形成するか、ということです。そのために、正直であること、すなわち真実に対する謙虚な態度、自分の主観にこだわらないフランクな心が大切なのです。フランクとは、率直とか、ざっくばらんな様子を指しますが、つき詰めれば自分自身を含めたすべてのことを客観的に見ることのできる心です。これはなかなか容易なことではなく、私自身もそのようにあることを毎日努力しています。一緒に努力しましょう。フランクな心で人と接するには、相手と自分を同等にリスペクトすることが求められます。勉強するときや人と接するとき、自分の感覚にこだわり過ぎず、相手と自分を同等にリスペクトするフランクな心を持ってください。そうすることでひろい視野を得て、ゆたかな感受性を働かせ、たくましい創造力をもって自分自身の新しい主張を創り出して欲しいと思います。

もう少し、続きます。

皆さんは三年前に中学生・中等科生になったとき、大人の仲間入りと言われたと思います。でもその後、大人というものは、その資格を人から与えられるものではなく、自らの努力によって自分自身の中に築き上げていくものだ、ということに気づいたと思います。何をどのように築いていけば良いのでしょうか。そのヒントを述べたいと思います。

いま高等科生になり、高等科は中学校・中等科より自由が認められているらしい、と聞いている人が多いのではないでしょうか。その通りです。では自由とは何でしょうか。やるべきことをあれこれ指示されたり、やってはいけないことを制限されないこと、だと思う人。それは半分だけ正しいです。指示されたり制限されたりすることが無いあるいは極めて少ないというのは、自由であるための前提です。おそらく皆さんはすでにその状態にあることと思います。問題はその先、指示や制限のない環境の下で皆さんが自分のやりたいことを見つけ、やるべきことを見逃さずに自分の意志で実行していくこと、それが自由です。自由であるかどうかは皆さんの考えと行い次第なのです。

自由には当然責任が伴います。それは、好き勝手やって他の人に迷惑をかけてはならない、という意味もありますが、本当に大事なのは自分自身に対する責任です。自分で選んだことを行った結果として何かが起きれば、それに対応するのは自分です。自由な振る舞いから得たものが、事前に思ったものとはちょっと違うかもしれません。でも得たものを自分のために役立てることができるかどうか、自分で考えていかなければならないのです。それが自分に対する責任というものです。

自由だ責任だと言われて戸惑う人もいることでしょう。やりたいことが見つからない、やるべきことが分からないというときでも、困ることはありません。ちょっと面白そうだとか、誰かに誘われたとかのモチベーションでかまわないので、とりあえず何かをやってみて、難しいことは後で、たっぷりある時間に考えましょう。

 先の大戦、第二次世界大戦・太平洋戦争が終わったのは八十年前のことです。それまで学習院は宮内省管轄の官立学校でした。戦後の民主化の流れの中で、学習院をどのように存続させるか当時の山梨勝之進院長はじめ関係者は大いに頭を悩ませたのですが、その際の大きな方向として、学習院には文部省所管の国立学校となる道もあり得たのだそうです。国立なら経営は安泰です。ただそのときの判断として、学習院がより自由な学校であるために国の管理下に直接置かれる国立ではなく私立学校の道を自ら選んだという記録が残っています。つまり学習院にはもともと自由を大切にする気質があり、それを守り発展させるため、経営の安定した国立ではなく敢えて私学となった、そういう歴史があることを知っておいてください。

歴史と伝統を大切にしながら同時に自由な学校でもあるために、ただ形としてだけ過去のものを維持するのではなく、つねに何を行うべきかを考え続ける社会に開かれた学校でなければなりません。学校は、その時の生徒とともに未来を生きる術を考える場です。そのために、広い世界をよく見て、敏感に感じ取り、創造的な発想を巡らせるという、学習院の教育理念である三つの言葉を大切にし、歴史・伝統とともに自由を尊重しているのです。

ご家族の皆さま、高等科入学という節目を迎え、感慨ひとしおのことと拝察します。中等科・中学校では「子離れの時期」と言われ、時折大人の顔を見せるものの、まだまだ子どもだと感じるときも多くあったことでしょう。それはまだ少しの間続くかもしれません。お子さまがさまざまな表情を見せるこの時期を、是非この学校とともに歩んでください。ご家族にとって最も身近な存在としてこの学校は協力してまいります。よろしくお願いいたします。

 新入生諸君、これから始まる高等科での生活には勉強とともに部活動・委員会活動、学校行事が盛りだくさんに用意されて皆さんを待っています。何を選び、どう過ごすかは皆さん次第です。ここで過ごす毎日を大いに楽しみ、そして多くの人やものに出会い、自ら考え、学んでください。

ブルーインパルスが医療関係者への感謝の飛行を行う一方で、クラスターの発生した施設への心無い誹謗中傷があったり、社会的に弱い立場にある人たちに負担が集中してしまったなど、この社会の抱える問題点があらわになったことを覚えていますね。高等科生活を楽しみながら、自分以外の人たちの立場や感覚を尊重する必要があります。そのために、相手と自分を同等にリスペクトしてください。社会に開かれた学習院の自由な高等科で、フランクな心をもって共に多くを学び合って行こうではありませんか。

以上をもちまして、新入生の皆さんを迎えるにあたっての私からの言葉といたします。

令和七年四月七日

学習院高等科長 髙城彰吾

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