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琉球融合文化のカッコよさと沖縄戦跡~『沖縄のいまガイドブック』を読んで|1A09 猪俣 貴寛

りんけんバンドの照屋林賢氏らの対談集である同書が出されて十年の今、安室奈美恵・SPPEDを経て沖縄のポップは隆盛を極め、ザ゙・ブームの『島唄』は遠くアルゼンチンで旋風を起こすほどだ。それだけではない、ゴーヤをはじめとする地元の食品は今や全国区だし、ゴルフの宮里藍らスポーツにおいても沖縄が注目を集める今、僕が思うのは「沖縄にはかなわない」ということである。本土の画一的なセンスとは異なり、本当に沖縄発のものは格好いいと思う。前半の沖縄文化に関する林賢氏らの話からその本土とは違う感性というのは「チャンプルー文化」によるものとわかる。チャンプルーは炒め物の意で雑種文化の例えであり、方言や音楽、料理などさまざまなモノに中国・アジア諸国・日本本土それにアメリカからの影響が混ざって見られるということで、中央なら中央に統一された日本の構造とは一線を画する。
話はそれるが、以前訪れた那覇の牧志市場界隈の混沌には感動した。市場に山と積まれた豚足や牛の胃袋、オキナワンブルーの魚、島ラッキョウ、豆腐よう、そしてスパム。レコード屋では地元発インディーズ系CDの隣に年代物の三線。朝鮮人参を売る少年。そして市場の雑踏の中、ひとり老人が吹くハーモニカのノスタルジックな琉歌は終戦直後から時が止まっているんじゃないかと思わせるが、一歩国際通に出れば南国は時間に寛容なのか夜8時くらいまで中学生がケータイ片手に遊んでいる。沖縄のカオス文化をのぞくなら国際通、それも市場周辺がすごい、というのが僕の体験談である。さて閑話休題

『唐ぬ世から 大和ぬ世 大和ぬ世から アメリカ世 
ひるまさ変たる くぬ沖縄』

という中国から日本、そして米軍統治と沖縄の時代のめまぐるしさを謳う民謡の一節がこの本のコラムに引用されていた。多くの国の支配の下にあった琉球の歴史は必ずしもいい過去とは言えないが、少なくともそういった背景が現代沖縄の融合文化を作り上げたといえるだろう。
また沖縄といって忘れてはならないのが太平洋戦争と基地問題であり、この本の後半は画家の名嘉睦稔氏と現地ガイドの村上有慶氏の平和についての対談となっている。印象に残ったのは鍾乳洞「ガマ」についての記述で、そこから出てくる遺骨や不発弾といったものは戦争時代の悲劇を物語るという。爆撃を恐れてガマに逃げた当時の住民達はどんなに外の青空と太陽を望んだろうか。前にひめゆり資料館に行った時見聞きして感じた酷さは今も覚えているし、摩文仁慰霊塔の前で花を売る、というか売りつける(おそらく沖縄戦を体験したであろう)老婆たちの姿も印象深い。青い海と白いビーチのオキナワにもいろいろな形でまだ生きて残っているのだ、あの地上戦は。是非今度の研修旅行ではそのときの人々の苦しみにじかに触れるような体験をし、普段気づかなかったことに気づいてみたい。
そして基地問題であるが、最近イラクへ向かう米兵の多くがこの沖縄米軍基地から出発すると耳にした。二度と戦争をするまいと誓うような経験をした島から戦争に行く兵士らが飛び立つというのは皮肉なことだ。安保から国の思いやり予算まで細かく解説してあったので基地に対する認識も深まったが、なかなか一筋縄ではいかない問題が横たわっているようだ。こういった話を読むと、戦争を体験していない世代である僕などにできることはやはり憲法9条を変えずに守るということだと思う。実際に沖縄に行って、自分の平和に対する考えが強固になるとよい。
最後の、林賢氏の話を読んで思ったことを書くと、実に沖縄に生まれた自分と同じ年代の高校生がうらやましい。年に一度の旧盆のエイサーでは若者達が恋の気分を抱きながら踊るそうだ。好きな人が遠くに居るのを見ながら、あるいは一緒に居たりして夜通し月の下で踊るという。実にうらやましいではないか。なぜ東京にはエイサーがないのだろう。東京音頭ではこうはいかない。沖縄生まれでないことを非常に残念に思う。そういう伝統が普通に息づいていて、若者が普通に日常の中でそれを継承している。こういった所がまた沖縄の格好よさだ。

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