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高等科NEWS

六十年前の「現実」|1A20 桑島 良隆

 太平洋戦争時、沖縄が唯一の本土での戦場となったことは、周知の事実である。だが、大半の人はその中身を知らない。今の日本を考えるにあたって、この中身を知るか知らないかでは、大きな差が出てくるであろう。
 今回私が読んだ、石原昌家著『沖縄の旅・アブチラガマと轟(とどろき)の壕―沖縄が戦場になったとき』は、沖縄での戦争の悲惨さを、アブチラガマ(糸数壕)と轟の壕と呼ばれる壕で起きた事実をもとに描いていった作品である。また、CGで壕の中の構造が再現されているのも特徴といえる。
一通り読み終わったときの正直な感想は、「よく分からない」というものであった。ただ一概に、書かれていることが分からないということではない。「想像できない」のである。例えば、本書に出てくる「重傷患者」を挙げれば、彼らは手足が無かったり、傷口にウジがわいたりし、もだえ苦しみながら亡くなっていったということだが、果たしてこれが今を生きる十代、二十代の我々にきっちりと頭の中で想像できようか?元々私は「うじ」を見たことが無かったので、インターネットで検索してみた。言わずもがな、正視にたえないものであった。あれが体につき、肉体をむしばむなど、とても想像がつかないのである。他にも、「餓死」や「自決」など、今の我々には最早無縁に近い言葉が、本書には当たり前のように出てくるのである。「分からない」と感じる一方、今の状態が崩れることへの「恐怖」も、同時に身を襲った。
 確かに本書には、日本兵の残虐性も書かれているのだが、どうしても首をひねってしまう。目的のためならば罪無き子供をも殺した日本兵。怒りを覚えるのは当然なのだが、一方で、ここまで日本兵を追い込んだのは何なのか、という疑問が頭をよぎる。まだ十六年しか生きてなく、銃を持ったこともなく、そして「国のために」人を殺したことのない私には、少し理解が難しいと感じた。
 大江健三郎の著書に、『芽むしり・仔撃ち』というものがある。こちらが不快になるほど、戦争の醜さが生々しくつづられている本であるが、今回石原昌家の著した沖縄の本を読んだことで、計らずも『芽むしり・仔撃ち』が思い出された。大きな不快感を覚える一方、日本人として受け止めなければならない事実であるということが、この二冊から思い知らされたような気がする。
 今の我々に足りないものは多く存在すると思うが、その一つが「過去を知らなすぎる」ということだと私は考える。「戦争で何万人という人が死んだ」だけではいけない、「なぜこんな戦争が起きたのか」はもちろん、「一体どういう死に方をしたのか」「死ぬとき一体どういう気持ちだったのか」など、戦争の中身を知らねばならないのである。そのために、本書やその他多くの戦争に関する本は存在するのだろうと私は考える。戦争の中身を知るか知らないかで、たとえ同じ結論に至ったとしても、それが持つ重みには大きな差が生まれる。これは必然であるとは言えないだろうか。

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