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「おかしさ」から見える沖縄の魅力考|1B08 河野 雄哉

 自分の住んでいる島を一歩出ると、日常とは違う世界に「これはおかしい」と思う。この「おかしさ」こそ、そのものがもつ魅力を知るためのパスポートなのではないか。著者の名嘉睦稔は初めにそう述べている。
 このガイドブックを介して沖縄へ行った。僕が住む東京から遠く離れている沖縄は僕にとって「おかしい」土地であり、その土地の文化は僕にとって「おかしい」文化だった。この地には沢山の「おかしさ」がある。沖縄の魅力はそこから繋がっているのだろう。僕はこの「おかしさ」を考察していくことでそこへ辿り着くことができれば、と考えた。「林賢は小さいときはウチナーグチ(沖縄の方言)ではなくて共通語を使っただろう。」「家では共通語はあまり使わなかった。」
 このガイドブックの著者である睦稔と林賢の会話だが、ほとんどが共通語で話される東京に住む身としては、「おかしい」と思わせる内容である。方言と共通語を使い分けることがあるのだろうか。会話は続く。
「学校へ行ったら。」
「学校へ行ったら、さんざん言われた。ウチナーグチを使うな、日本語を使いなさいと。僕の母親といとこの先生もそう言っていた。」
「共通語励行ね。」
 なんと、共通語励行という考え方により、場合によっては方言でなく共通語を使わないと罰を受けることさえあるらしいのだ。励行の理由として沖縄の人が言うのは、「ヤマト(本土)に行ったときに困る」「ヤマトゥンチュー(本土の日本人)に負ける」「ヤマトともネットワークしなければならない」のように本土の日本人を意識したものだ。こうした考え方が伝わっていくのは、かつて沖縄が独立した「琉球王国」だったことと無縁ではない。
 琉球王国では一四世紀後半から一六世紀は「大交易時代」といわれ、西の中国、南へフィリピン、ベトナム、カンボジア、タイ、シンガポール、マレーシア。北は韓国・釜山、日本の堺へとつなぐ交易ルートをもっていた。また、一八七九年の日本政府による「琉球処分」で王国は途絶え沖縄県として日本の一部になり、戦後はアメリカの統治下におかれ、日本に復帰したのは一九七二年のことだ。
 そうした沖縄の歴史から、大陸的、北方的、南方的要素がまじり、さらにアメリカ的要素が加わって、この地の文化はチャンプルー文化(雑種文化)」と言われ、独自の文化を花開かせている。沖縄の人達は、自分たちの文化が雑種であることに誇りをもっているそうだ。
 僕は、沖縄の魅力の中核を成しているのが、今の沖縄へ至るまでの歴史だと確信した。日本の一つの地として変わっていく言葉。独特の音階から親しまれる音楽。世界一の長寿国である日本で、沖縄が一番の長寿県となった理由でもある料理。多くの被害を受け、今もなお数々の問題を抱えながらも戦争を伝えていく人々。これら全ては、多くの国と交易を行ってきた時代と戦争があったからこそ今ここに存在しているのだと思う。
 この確信に至るために焦点を当てた「おかしい」は、言葉に対するもの唯一つとなった。だが、それはその確信が前段落に挙げた沖縄の魅力の中心に位置し、そこから放射状に「おかしさ」の糸をのばしていたからとも考えている。
 このガイドブックと紙上旅行から得た答えはここまで。続きは実際に五感で感じ取ることで、さらなる沖縄の魅力に近づければ、と思っている。

 参考文献
照屋林賢・名嘉睦稔・村上有慶著 「沖縄のいまガイドブック」(岩波ジュニア新書) 

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