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魂込めを読んで|1B21堤 康平

 「戦争なんてするもんじゃない。」これが、僕の率直な感想であり、改めて思った事です。では、なぜそう思ったのかを述べてゆきたいと思います。
 この本の舞台は現代の沖縄です。主な登場人物は、ウタという老婆と、幸太郎という五十歳くらいの男。幸太郎は乳飲み子の時に両親を失ったために、よく「魂」を落としてしまう子どもだった。幸太郎に限らず、小さな子どもは驚いたりすると「魂」を落としてしまう時があり、そうするとウタが魂込めをしてやるのです。しかし、今回は幸太郎の魂込めがうまくいきません。
 ほろ酔い気分で浜へ降り、気持ちよく三味線を弾いていた幸太郎は、そのままそこで寝てしまいます。そしてなんと、寝ている幸太郎の口の中にアーマン(オオヤドカリ)が侵入し、そのまま住みついてしまうのです。よく考えると、もの凄い事になってるなぁ・・・なんて思いながら読んでいたりもしました。
 ウタはその後も幸太郎の魂込めを続けます。すると、ついに幸太郎の魂が動き出し、行き先は・・・なんと産卵中の海亀。するとウタは、この日が幸太郎の母オミトの命日であり、この場所がオミトの最期であったことを思い出すのです。
 時は一九四〇年代。ウタやオミトが暮らす村はアメリカの空襲により壊滅状態でした。話は少しそれますが、僕の祖父は弟を連れて一生懸命逃げたんだよ、と話してくれる事があります。僕はその話とこの本の話とが重なって、この一文を読んだとき、何か非常に大きなものに心を打たれ、また痛みました。さて、ウタとオミトは洞窟に非難しました。僕は最近テレビの特集で、戦争の時避難場所として使われた洞窟というのを見たばかりだったので、その光景を頭の中に浮べる事ができました。暗い中で、家族ごとに身を寄せ合っている様子を思うと、本当に戦争の残酷さ、冷酷を感じます。ある日ウタとオミトは食糧を求め、洞窟から抜け出しました。畑からわずかな量の芋を採り、洞窟へ戻ろうとしたその時でした。日本兵がそばを通りかかりましたが、間一髪セーフ。それから一時間が経ち、すっかり安心したオミトは浜へ海亀の卵を採りに行ってしまいます。浜は見通しがよく危険なので戻るようにウタは止めました。しかし、次の瞬間「パン」という銃声と共にオミトの体は横倒しになりました。「戦争」という言葉を耳にすると「国と国の戦い」に注目がどうしても集まりがちです。しかし、僕はこの本を読んで、「国の中での問題」というのも見つめる必要があるのではないのか、と思うようになりました。日本兵がストレスを日本国民にぶつける、しかも「殺す」という最悪の形で。僕は怒りを通り越え、憤りさえ感じました。国と国との争いは絶対してはいけない。さらにしてはいけない事、それは強い者がストレスを弱い者に最悪の形でぶつける事なのだと、僕はこの本を読んで確信しました。
 時は現代に戻ります。海亀が産卵を終え、海へと戻ってゆくのを幸太郎がついて行こうとします。ウタが懸命に引き止めていると、フッと幸太郎の魂が消えてしまったのです。ウタは走って幸太郎の家まで戻りましたが、幸太郎はすでに息を引き取っていました。死因はアーマンによる窒息・・・まぁちょっと現実離れした所も、この作品の良い所なのかもしれません。その後、アーマンは強引に幸太郎の口から引っこ抜かれ、最期はスコップで突かれて死んでしまいました。ウタは、このアーマンはオミトの生まれ変わりだったのでは、とひらめきますが、僕はそうは思いません。なぜなら、自分の息子をこんなグロテスクな形で窒息死させる母親なんていないと思うからです。
 戦時中、生活を共にした人がいなくなり、独りになってしまったウタ。この本の最後に「ウタは立ち止まり、海に向かい、手を合わせた。しかし、祈りはどこにも届かなかった。」とあります。ウタの孤独感が感じられると同時に、戦争は何もかも、仲間さえも奪い去ってしまうのだ、と筆者が訴えている様に思え、非常に心に響くクライマックスだったと僕は思います。
 戦争、絶対反対!

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