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高等科NEWS

2020年度 卒業式

感染症対策のため、昨年に続き簡略化した形ではありましたが、
満開のサクラの下、令和2年度の卒業式が行われました。

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高等科卒業式告辞


                       学習院中・高等科長 武市憲幸

 

 卒業生のみなさん、そして父母保証人の皆様、本日はご卒業おめでとうございます。

本来であれば、ここに在校生の諸君も参列して式を挙行するはずでしたが、ご承知の通り、新型コロナウイルスの感染はいまだに収束せず、このように簡易化した形で行わざるを得ませんでした。

思い返せば、昨年の2月頃から始まったこの騒動は、学校生活にも甚大な影響を及ぼしました。4月の新学期になっても登校できなかったことはもちろん、その後のクラブ活動や行事の多くが、中止や延期に追い込まれ、高等科生活最後の年がこのような形になってしまったことが残念でなりません。保護者の方々にもさまざまなご不便をおかけしたことと思います。ただし、この100年に一度ともいわれる厳しい状況の中で、生徒諸君の安全を図るためのやむを得ない措置であったことをご理解いただきたいと思います。

 さて、卒業生諸君は、高等科での過程を終えて、これからより専門的な過程に進んでいくことになります。とは言っても、それもとりあえずの通過点に過ぎないのかもしれません。自分が本当に自分を活かせる場所を見つけるためには、社会に出てからも試行錯誤を続けることになるのだと思います。その試行錯誤の果てに、今まで考えてもみなかった場所にたどり着いているかもしれません。また、一つの道をたどって行くにせよ、時には、壁にぶつかり立ち往生してしまうこともあるでしょう。

 私たちはそれぞれの個性を大切にして日々君たちと接して来ました。そして将来その個性を土台にして自分自身の充実した人生を切り拓いていけるようになることが願いです。ですから、自分自身が活かせる場所であるならば、つまずいたり、転んだりしながらでも、そしてそれが傍から見てどんなに無様に見えようともその場所をめざして歩み続けて下さい。

ここで、高等科を巣立っていく君たちに小説家の夏目漱石が、若き芥川龍之介に宛てた手紙の一節を紹介したいと思います。大正5年に書かれたものですので、漱石は当時50歳、芥川は作家としてスタートを切ったばかりの26歳でした。ちなみに漱石はこの手紙を出した数か月後に亡くなります。つまり晩年の彼が若い世代に残した最後のメッセージと言ってもいいでしょう。

 

牛になる事はどうしても必要です。吾々はとかく馬にはなりたがるが、牛にはなかなかなり切れないです。 (中略)あせってはいけません。頭を悪くしてはいけません。根気づくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。うんうん死ぬまで押すのです。それだけです。決して相手をこしらえてそれを押しちゃいけません。相手はいくらでも後から後からと出て来ます。そうして吾々を悩ませます。牛は超然として押して行くのです。何を押すかと聞くなら人間と申します。人間を押すのです。」

以上です。

 

突然牛や馬の話が出てきて驚いたかもしれません。鈍重な牛と俊敏な馬と。若い頃はともすれば人の眼を引くような行為に憧れるものです。漱石は、ここで「火花」という言葉を使って、そのような行為に、ある「危うさ」を感じ取っています。自分が何かの壁にぶつかった時も、その問題から目を逸らしたり、壁を、あたかも障害物競走の馬のように一気に飛び越えようとする誘惑にかられるものです。しかし、壁が高く、容易に打ち壊すことができないものであればあるほど、われわれは、鈍重な牛のように愚直にその壁を押し続けるしかないのではないか。むろん口で言うほど易しいことではありません。ただ、私は若い頃この漱石の言葉に出会って、「根気よく、超然として何かを押し続ける牛」のイメージに励まされた覚えがあります。皆さんもこれから何か困難なことに打ちあたり、不安に駆られた時、この「牛」のことを思い出してみて下さい。

 父母保証人の皆様、本日の卒業式には学校法人学習院を代表して、耀院長、平野専務理事にご列席いただいております。またご来賓として大木父母会副会長にご列席いただいております。私たち学習院高等科の教職員一同、心からご子息のご卒業をお祝い申し上げます。

皆様におかれましては、3年前この記念会館での入学式のことはまだ記憶に新しいのではないでしょうか。彼らはこの3年間さまざまなことを経験して、今日卒業の日を迎えました。時には、はたから見ていてひやひやされたこともあったかもしれません。この目白のキャンパスで過ごした日々が、より良き成長の手助けとなったとしたならば、われわれにとってこれほど喜ばしいことはありません。彼らはこれから自らの足で自分の道を歩いて行くことになります。まだまだ親としての心配は続くでしょう。また、われわれも卒業したから事足れり、とは考えておりません。むしろ、高等科の教育はこれから始まるのだと言っても過言ではないでしょう。10年後、20年後、それが一つの実を結んでくれれば、と願っています。

3年間、学校運営のさまざま局面にご協力いただいたことを心より御礼申し上げます。

最後に、卒業生の皆さん、この3年間で築き上げた友人との絆を大切にして下さい。それは君たちの生涯を通じての大きな財産となるはずです。みなさんにとってこの高等科が、いつまでも「特別な場所」であり続けることを切に願っています。

以上をもちまして卒業式の告辞といたします。


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2019年度卒業式

感染症対策のため例年よりも簡略化し、2019年度卒業式を行いました。

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高等科卒業式告辞


                             学習院高等科科長 

                                  武市憲幸



 卒業生のみなさん、そして父母保証人の皆様、本日はご卒業おめでとうございます。

 本来であれば、ここに在校生の諸君や来賓の方々をお招きして式を挙行するはずでしたが、ご存知のように新型コロナウィルス感染拡大を防止するために、このように簡易化した形で行わざるを得ませんでした。学校によっては、卒業生と教員のみの式や、式そのものを中止するケースもあるようです。しかし、われわれは、卒業生、保護者、教員で行うことを決断し、今日ここに式を挙行するに至りました。さまざまなご意見があるとは思いますが、学校生活を締めくくる大事な行事である卒業式をこのような形で行うことを何卒ご理解いただきたいと思います。

 私は本校に勤務して30年になりますが、その間このような形で式が行われたのは2011年東日本大震災の時でした。震災当日とそれに続く数日間の混乱は言うまでもありませんが、さらにその後の数週間、原子力発電所の問題や流通網の混乱による物資不足などで世情が殺伐とした雰囲気に覆われていたことは現在でもありありと記憶に残っています。むろん当時の状況と比較して現在を云々するつもりはありません。しかし、こうした先行きの見えない不安な状況にあるからこそ、きわめてありきたりな言い方になってしまいますが、「他人への思いやり」を大切にして欲しいと願っています。かつての体験を教訓として活かすことはわれわれの務めであると考えます。そして、高等科で3年間を過ごしたみなさんならば、このありきたりではあるが、実践することが容易くはない、「他人への思いやり」を保ち続けることの大切さを分かってくれるだろうと信じています。

君たちは高等科での課程を終えて、これから、より専門的な教育課程に進んでゆくわけです。とは言っても、それもとりあえずの通過点に過ぎないのかもしれません。自分が生涯をかけてやるべきことに辿り着くためには、これからもさまざまな試行錯誤が必要になるのだと思います。もしかしたら、その試行錯誤の果てに、自分が今まで考えてもみなかった場所に辿り着いているかもしれません。また、一つの道を辿ってゆくにせよ、壁にぶつかり、立ち往生してしまうこともあるでしょう。

私たちは君たちの個性を大切にして、将来その個性を土台にして自分自身の人生を切り拓いてゆけるようになることを何よりも大切に考えて来ました。ですからそれが本当に自分自身を活かせる場所であるならば、つまずいたり、転んだりしながらでも、そしてそれが傍から見てどんなに無様であろうと、その場所にむけて歩み続けて下さい。

 先ほど「先行きの見えない不安」ということを述べました。また、昨今新型コロナウィルスが、社会に与える影響を懸念する声がそこかしこで挙がっています。おそらく、この一連のウィルス騒動が終息した後でも、「不安」はその度合いを増しこそすれ、なくなることはないでしょう。社会を覆うこの不安に対して、それがまるでないかのように振る舞い、やり過ごそうとするのは、時代に対してあまりに不誠実な態度であると思います。そうした態度はいつか必ずその借りを返さねばならない時が来るでしょう。また、一方で、あまりに悲観的に考え、自暴自棄になってしまうのも、同じように不誠実なことだと思います。君たちには、社会を覆うこの「不安」に、真正面から向き合い、その「不安」のよって来たるところを見据えて、粘り強く考え抜く姿勢を貫いて欲しいと願っています。楽観もせず、悲観もせず、目の前の課題に真摯に向き合うことがわれわれに求められていることなのです。

 父母保証人の皆様、私たち高等科の教職員一同、ご子息のご卒業を心よりお祝い申し上げます。

彼らも高等科に入学して3年間が経ちました。高等科の入学式に新入生として参列していた日のことは、まだまだ記憶に新しいと思います。私も親として経験がありますが、高校の3年間は、本当にいろいろあった3年間だったのではないでしょうか。時には、はたで見ていて、ヤキモキしたり、ヒヤヒヤしたりすることがあったかもしれません。彼らはこの3年間、さまざまなことを体験して、今日卒業の日を迎えました。そしてこの目白のキャンパスでわれわれと同じ時間を共有したことが、よりよき成長の手助けになったとしたら、これほど喜ばしいことはありません。彼らはこれから自分の足で自分の道を歩いてゆくことになります。親としての心配はまだまだ続くと思います。また、われわれにとっても、卒業したからそれでおしまいだとは考えていません。というよりも、高等科での教育はこれからその真価が問われるのだと言っても過言ではないでしょう。そして10年後、20年後にそれぞれが、それぞれの豊かな実を結んでくれることを願っています。

3年間、学校運営のさまざまな局面にご協力いただいたことを心より御礼申し上げます。

 最後になりますが、卒業生のみなさん、この先何か困難なことに突き当たった時は、この高等科で過ごした日々を振り返ってみて下さい。きっと自分が進むべき方向が示されると思います。また、この3年間で築き上げた友人との絆を生涯大事にして下さい。みなさんにとってこの高等科が、いつまでも「特別な場所」であり続けることを心から願っています。

 以上をもちまして卒業式の告辞といたします。




2017年度卒業式

 2017年度高等科卒業式が行われました.
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高等科卒業式告辞

学習院高等科 科長 武市憲幸

 学習院の桜が、まるでこの旅立ちの日を祝うかのように、花を咲かせ始めたこの日、今年度の卒業式をここに行えることを大変うれしく思います。
 
 卒業生のみなさん、そして保護者の皆様ご卒業おめでとうございます。

 卒業生の皆さんは、高等科での課程を終えて、次は将来の進路へと直接つながる専門的な課程に進むわけですが、今は、どのような思いを抱いていることでしょう。

 私も中等科から学習院に入学し、高等科を卒業したわけですが、私が卒業した時代は、現在に比べてまだまだのんびりしていたように思います。将来を思い描くにしても、あるスタンダードが存在して、それを基準に考えることができた、ある意味のんきな時代だったのかもしれません。

 それに比べて現在は、様々な局面で先の見通しがききにくい、つまり将来像が描きにくい時代、スタンダードが存在しない時代なのだと思います。
少し視野を広げて、政治・経済・外交など様々な分野においてもこうした状況は、当てはまるのではないでしょうか。そして人々は、先の見通せない不安感から、ともすれば他人を攻撃することにその吐け口を見出そうとしているような気がしてなりません。一つの国が他の国を非難し、一つの国の中でも、攻撃する対象をみつけて、容赦ないことばを浴びせかける。こうしたことをしている本人には自覚がないのでしょうが、みずからの不安は、けっして他人への憎しみの感情によって癒されることはないでしょう。それどころか、憎しみの言葉は、そうした感情を増幅してゆくだけなのです。高等科を卒業した諸君は、けっしてそのような「空気」に同調することなく、自身の「不安」と正面から向き合っていって欲しいと思います。自分とは違う考え方の人間を一方的に非難したり、排斥したりすることはわれわれの生きている社会をますます息苦しくしてしまいます。困難なことかもしれませんが、どうか自分には厳しく、他人には寛容であって欲しいと思います。そして高等科で3年間を過ごした君たちは、ここで述べたことを違和感なく受け止めてもらえると信じています。
先ほどみずからの「不安」と真正面から向き合って欲しいと、述べましたが、私はここで小説家の夏目漱石が、芥川龍之介に宛てた手紙の中にある言葉を紹介したいと思います。大正5年に書かれたものですので、漱石は当時50歳、芥川は作家としてスタートを切ったばかりの26歳でした。ちなみに漱石はこの手紙を出した数か月後に亡くなります。つまり晩年の彼が若い世代に残した最後のメッセージと言ってもいいでしょう。

「牛になる事はどうしても必要です。吾々はとかく馬にはなりたがるが、牛にはなかなかなり切れないです。 (中略)
あせってはいけません。頭を悪くしてはいけません。根気づくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。うんうん死ぬまで押すのです。それだけです。決して相手をこしらえてそれを押しちゃいけません。相手はいくらでも後から後からと出て来ます。そうして吾々を悩ませます。牛は超然として押して行くのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。」

以上です。突然馬や牛の話が出てきて驚いたかもしれません。俊敏な馬と鈍重な牛と。若い頃はともすれば人の眼を引くような行為に憧れるものです。ただ漱石は、ここで「火花」という言葉を使って、そのような行為に、ある「危うさ」を感じ取っています。自分が何かの壁にぶつかった時も、その問題から目を逸らしたり、壁を、あたかも障害物競走の馬のように一気に飛び越えようとする誘惑にかられるものです。しかし、壁が高く、容易に打ち壊すことができないものであればあるほど、われわれは、鈍重な牛のように愚直にその壁を押し続けるしかないのではないか。むろん口で言うほど易しいことではないのは、漱石の言う通りなのですが、私は、若い頃この漱石の言葉に出会って、「根気よく、超然として何かを押し続ける牛」のイメージに励まされた覚えがあります。皆さんもこれから何か困難なことに打ちあたり、不安に駆られた時、この「牛」のことを思い出してみて下さい。
 
 父母保証人の皆様、本日の卒業式には学校法人学習院を代表して、内藤院長、耀専務理事、平野常務理事、江崎常務理事にご列席いただいております。またご来賓として東園桜友会会長、新谷(しんたに)父母会副会長、一條中高桜友会会長にご列席いただいております。私たち学習院高等科の教職員一同、心からご子息のご卒業をお祝い申し上げます。

 ご子息が高等科に入学して3年間が経ちました。高等科の入学式に新入生として参列していた日のことはまだまだ記憶に新しいと思います。私も親としての経験がございますが、この3年間は本当にいろいろあった3年間だったのではないでしょうか。時には、はたで見ていて、ヒヤヒヤされたこともあったかもしれません。彼らはこの3年間いろいろなことを体験して今日卒業の日を迎えました。そしてこの目白のキャンパスで過ごしたことが、より良き成長の手助けとなったとしたならば、われわれにとってこれほどうれしいことはありません。彼らはこれから自らの足で自分の道を歩いて行くことになります。そうした意味で親としての心配はまだまだ続くと思います。また、われわれにとっても卒業したからと言って、それでお終いだと考えていません。というよりも高等科の教育はこれから始まるのだと言っても過言ではないでしょう。そして、10年後、20年後、それが一つの実を結んでくれれば、と願っています。

 最後に、卒業生の皆さん、この先何か困難なことに突き当たった時は、もう一度この高等科で過ごした日々をふり返ってみて下さい。きっと自分が進むべき方向が示されると思います。また、この3年間で築き上げた友人との絆を生涯大事にして下さい。みなさんにとってこの高等科が、いつまでも「特別な場所」であり続けることを切に願っています。

 以上をもちまして卒業式の告辞といたします。


2016年度 卒業式

平成28年度高等科卒業式が行われました.

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科長告辞
学習院高等科
科長 林 知宏

 高等科3年生のみなさん,卒業おめでとうございます.春の訪れが間近になってきました.学習院の一つの象徴である正門の桜も,本日の式に合わせるように開花しました.この喜ばしい卒業に際し,私からのみなさんの将来への期待や願いを話したいと思います. 

 この1年間,様々な出来事が国内外で起こりました.その中には事前の予想が覆され,大きな衝撃が伴った事柄もありました.EUの離脱をめぐって実施されたイギリスの国民投票,アメリカの大統領選挙は,予想外の結果がもたらされました.二つに共通しているのは21世紀になって進行したグローバル化の中で,人々が恩恵を受けておらず,不遇感が充満していること,そしてそれが集団化して投票行動につながったということです.国が外に開かれているのは,人々にとって必ずしも望ましい状態ではなく,むしろ内向きに社会を閉ざしてでも自分自身に直結する利潤を確保することが優先すると多数の人々が考えたのです.それが,世界のグローバル化を先導したイギリス,アメリカ,両国で起きたことにやはり驚きを感じました.同時にすでに選挙権を手にして,投票行動をした経験のある人はもちろんのこと,未来の担い手にとってもその出来事は,あらためて民主主義とは一体何なのかを考える一つの契機になったのではないでしょうか. 

 われわれの国では,企業における長時間労働の問題が話題となりました.これは,先のグローバル化によって人と資本が国境を容易に越え,昼夜の時間も問わずに過剰に行われる競争がもたらした結果ともいえます.加えて,わが国に固有のこととして,2011年3月11日からの復興というテーマが引き続き残っています.あれからすでに6年の歳月が経ち,多くの地域では避難指示も解除されています.しかし人々が元の地域に戻ってきたとは言えない状況が続いています.あの日の記憶は,心の中で簡単に書き換わることはなく,派生した重い課題はこれからも継続していくことでしょう.日本は,単調に右肩上がりの成長をしてきた段階を脱して,より成熟した次の段階へと移行していかなければならないのでしょうが,そのプロセスが順調に進んでいないと見えるのです. 

 私は,真に社会が望む貢献を高等科の卒業生が果たして欲しいと心から願っています.長年蓄積した閉塞感を打破することができれば,爽快感が伴い,脚光を浴びることもあるでしょう.政治の世界では,どこかに敵を作り出して対立の構図を演出するやり方で,人々の関心を集め,支持を得ようとすることが行われます.しかし一時的な効力しかないことを誰もが知っています.本質は別の所にあると感じます.あの3月11日以降,地域の再建が前例のない作業となっているように,あらたに0から道をつけていかざるを得ない場合もあるかもしれません. 2年生の時の研修旅行で実際に目にした,沖縄の基地問題に関してもスムーズに物事が進展していません.そうした解決が困難な問題にどれだけ立ち向かっていくことができるか,その担い手となるためにも粘り強い思考が必要で,精神の奥行と複眼的な捉え方が求められているはずです.みなさんにとっても,先に歩んだ私たちにとっても,われわれが属するこの国の未来に向けて,取り組むべき事柄が多くあると私は思います,過去の蓄積をきちんと受け止め,問題を的確に把握し,その上で鋭く柔軟に分析することで,突破口を切り拓くことができるのでしょう.真に独創性を発揮する場面を作るには,何ごとも拾い集めて,心の中の引き出しにたくさんのことをしまっておくこと.どこで何が役に立つかわかりません.みなさんの将来の時間が意義のあるものになるために,ぜひそのことを心にとめて実践して欲しいと思います. 

 父母保証人の皆様,本日の卒業式には学校法人学習院を代表し,内藤院長をはじめ,耀専務理事,岩浅常務理事,平野常務理事,荒木常務理事が出席しております.また来賓として三野櫻友会副会長,有馬父母会副会長,一條中高櫻友会会長,渡邉中高櫻友会副会長にもこの壇上に列席いただいています.私たち学習院高等科の教職員一同,心からご子息のご卒業をお祝い申し上げます.高等科の3年間において,彼らは確かな成長の跡を残したはずです.同時に父母保証人の皆様は,高等科を卒業する彼らに対して,さらに学ぶべきことが多くあるとお考えになっているのではないかと存じます.私たちは彼らが担う未来に大きな期待を抱きつつ,いつでも可能な助言をしていく所存です.彼らの成長を見守る作業は,これからも続いていくものと考えております.

 卒業生のみなさん,この高等科卒業をもって,一つの区切りをつけるときが来ました.大人たちに広く守られながら,楽しく過ごしてきた日々,すなわちみなさんの子供時代は今日で終わりです.自らが大人になるために扉を開けて,前へ進んでほしいと思います.これから歩んでいく人生は長い道のりになるはずです.互いの進んだ方向やペースは異なっているかもしれません.何かを求めて自分から必死に近づこうとすることもあれば,反対に何かの方が自然に自分に近づいてくることもあるでしょう.運に恵まれることもあれば,そうでない時もある.前進すること,停滞すること,後退すること,それらが幾重に重なり,道は形作られていきます.誰もがそうした経験をしていくでしょう.ただ闘うばかりでなく,時には羽を休めて休息することも必要です.今ここにいる同級生,学習院高等科の先輩,後輩たちと過ごす時間が,未来にわたって安らぎをもたらものであればと思います.そして,20年,30年の歳月の後に,仲間たち同士で互いに幸福な時間を過ごしてきたという共通の気持ちを抱くことができればと願っています.だからこそ,偶然同級生となったこの縁を,ここで築いた人と人のつながりを大切にして欲しいのです.長い歩みの中で,ふと後ろを振り返れば出発点に高等科が位置していると感じる機会があるはずです.あそこからこれほど遠くに来た,これだけ高いところまで登ってきた,そうした確認のために座標の原点としての役割を高等科は果たすでしょう.何かの機会にみなさんが戻ってくる場所,それはやはりこの学習院高等科です.今後ともみなさんとこの学校との結びつきが保ち続けられるならば,それは私たち教職員一同にとって何よりうれしいことです.卒業生全員の未来における活躍を心から願い,私の告辞とします.


2015年度 卒業式

平成27年度 高等科卒業式が行われました.
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科長告辞
学習院高等科
科長 林 知宏

 高等科3年生のみなさん,卒業おめでとうございます.学習院の一つの象徴である桜が,みなさんの門出を祝福するかのように開花しました.この喜ばしい卒業に際し,私からのみなさんの将来への期待を話したいと思います. 
 今日,グローバリゼイションの名の下で,人やお金や情報が容易に国境を越えていく時代になりました.そしてその時代に即した人材を求める声は日々大きくなるばかりです.ただ,肝心の求められる事柄は実に多岐にわたります.語学力,積極性,危機管理,多様性に対する理解,自分自身のアイデンティの確立,どれもが不可欠に違いありません.それらすべてを総称して,「リーダーシップ」とも呼ばれています.とはいえ,一方で,アメリカの大統領予備選挙を見ると,そうした多くの要素をバランスよく備えていることよりも,時には極端に聞こえる強い主張や単純さが支持されている様子も見受けられます.それは現状に対して閉塞感を打破したいという欲求がもたらす結果なのかもしれません.同時に予測のつかないことに遭遇するのではないかと懸念が,ともすると人々を内向きにする傾向を作りだしてしまうからかもしれません.実際,世界の中で起きた出来事は多くの不安を引き起こします.特にこの1年,パリで起きた事件や,中東シリアの紛争やその結果生じた多数の難民の姿は本当に痛ましいものでした.世界が思想,宗教,民族,経済的利害関係,大国の思惑,様々な点から対立を深め,およそ解決の糸口がつかめない状況を知るにつけて,未来に向けてどう進んでいけばよいのかと誰しもが思うことでしょう.
 人は国,民族,宗教が違えども同じ人間として共通する普遍的な面もあるはずです.対立と協調と,それら両面によってこの地球上の数十億の人間が構成する社会が成り立っています.互いに分かり合える部分と分かり合えない部分とを意識しつつ,多極化していくこの世界の現状に対して,みながどのように対処して生きていくかが問われていると感じます.国という制度はあくまでも人間が作り出したものです.国境線によって区切られることない現象も多々あります.個としての強靭さを備えつつ,同時に帰属する集団の一員としてどのような役割を果たすことができるか,さらにはその集団をも超えた有機的な結びつきを形成して,何らかの行動につなげることが重要なテーマであると思います.
 私は,真に社会が望む貢献を高等科の卒業生が果たして欲しいと心から願っています.長年蓄積した閉塞感を打破することができれば,爽快感が伴い,脚光を浴びることもあるでしょう.しかしそれは一時的なものでしかありません.本質はさらに向こう側にあると感じます.その風穴の開いた先はおそらく道が平坦でないでしょう.ときには,道そのものがついておらず,あらたに道を作らざるを得ない場合もあるかもしれません.みなさんがその担い手になることができるかが問われるのだと思います.あの3月11日の出来事から5年を経ても,街の復興を遂げられたとは言えず,なお17万人を超える人々が避難生活を余儀なくされています.みなさんも2年生の時の研修旅行で実際に目にした沖縄の基地問題に関して,辺野古への移設協議の成り行きは依然不透明です.または原子力発電所の再稼働とエネルギー問題,どれをめぐっても簡単に解決を見いだすことができそうにありません.そうした長期にわたる困難な問題を引き受けるためにも粘り強い思考が必要で,そのためにも精神の奥行を持つことが求められているはずです.自然科学の分野では,重力波の観測に成功したという報道を耳にしました.アインシュタインの一般相対性理論から予測されていたにもかかわらず,100年の歳月を経てようやく実現しました.この間,どれほど多くの研究者がそこに関わり,試行錯誤を繰り返し,苦闘してきたか.そのように国内に,そして世界に,みなさんが学んで取り組むに値する事柄が多くあります.何事も拾い集めて,心の引き出しを用意して,その中にしまっておくことで,道なきところに道を切り拓く力を備えられるのだと考えます. 
 父母保証人の皆様,本日の卒業式には学校法人学習院を代表し,内藤院長をはじめ,耀常務理事,平野常務理事,岩浅常務理事が出席しております.また来賓として東園櫻友会会長,小堀父母会会長,一條中高櫻友会会長にもこの壇上に列席いただいています.私たち学習院高等科の教職員一同,心からご子息のご卒業をお祝い申し上げます.高等科の3年間において,彼らは確かな成長の跡を残したはずです.そのことは父母保証人の皆様の目から見てもお感じになるのではないでしょうか.同時に皆様は,高等科を卒業する彼らに対して,さらに学ぶべきことが多くあるとお考えになっているのではないかと存じます.私たちは彼らが担う未来に大きな期待を抱きつつ,いつでも可能な助言をしていく所存です.彼らの成長を見守る作業は,これからも続いていくものと考えております.
 卒業生のみなさん,この高等科卒業をもって,一つの区切りをつけるときが来たのではないでしょうか.今日でみなさんの子供時代は終わりです.大人になるために扉を開けて,前へ進んでほしいと思います.実際,みなさんはすでに選挙権を手にしています.法律の面からも大人の入り口へと後押しされたのです.これからもそれぞれの人生において,互いの進んだ方向や歩みのペースは異なっているでしょう.そしてある局面だけを見るならば,ひとと比較して自分の方がより前に進んだとか,自分だけが停滞してしまっているとか様々な感情をその場その場で抱くかもしれません.それでも,いつの日か20年後,30年後,過ごしてきた人生をこの仲間たち同士で確認する時が来るでしょう.その時,互いに幸福な時間を過ごしてきたという実感を持つことができればと思います.だからこそ偶然同級生となったこの縁を,ここで築いた人と人のつながりを大切にして欲しいと願っています.長い歩みの中で,ふと後ろを振り返れば出発点に高等科が位置していると感じる機会があるでしょう.みなさんが戻ってくる場所は,やはりこの高等科です.今後とも高等科とみなさんとの結びつきが末永く続くのであるならば,それは私たち教職員一同にとって何よりうれしいことです.
 卒業生のみなさんの未来の活躍を心から願いつつ,私の告辞とします.


2014年度 卒業式

平成26年度高等科卒業式が行われました.
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科長告辞
学習院高等科
科長 林 知宏

 高等科3年生のみなさん,卒業おめでとうございます.みなさんの喜ばしい卒業に際し,私からの伝えたいことを話したいと思います. 
 今日,グローバリゼイションの名の下で,人やお金や情報が容易に国境を越えていく時代になりました.そのことはみなさん誰もが共通に認識しているはずです.そしてその時代に即した人材を求める声は日々大きくなるばかりです.ただ,肝心の求められる事柄は実に多岐にわたります.語学力,積極性,危機管理,多様性に対する理解,自分自身のアイデンティの確立,リーダーシップ,どれもが不可欠に違いありません.一人の人間が一生かけてもそのすべてを十全に獲得できるのか疑問に思うほどです.一方で,たとえ備えるべきものが備わったとしても,なお予想のつかないことに遭遇するのではないかと懸念を持ってしまうのではないでしょうか.実際,国の内外で起きている出来事は多くの不安を引き起こします.特にこの間報道されてきた中東地域,ウクライナの紛争,あるいはパリの市街で派生した事態を知るにつけて,多くのことを考えさせられます.
 人は何らかの共同体に属して生きています.その共同体は,行動・感情・認識・思考にある一定のパターンを持った人々からなると言っていいでしょう.そうした長い歴史の中で培われてきた要素は,個人や集団を強く縛るものかもしれません.そしてともすれば排他的になる側面を持つのでしょう.その一方で,国,民族,宗教が違えども同じ人間として共通する普遍的な面もあるはずです.それら両面によってこの地球上の数十億の人間たちが構成されているということです.異文化間の対話は可能か?いま誰しもが直面させられる問題です.最終的には人間同士の対話は可能か?という問いに帰着されるのでしょう.人の抱く複雑でかつ根深い感情を思うと,その問いに対しては,やはり単純にイエスともノーとも言えないとしか答えようがありません.すなわち,互いに分かり合える部分と分かり合えない部分とがあるのではないかということです.そのことをふまえつつ,この世界の現状に対して,みながどのように対処して生きていくかが問われていると感じます.国という人間が作り出した制度の中で,内向きにひたすら固まっていくことが事態の解決につながるようには見えません.なぜなら,現在の政治,経済,思想において生じる対立の構図は国境線によって区切られているとは限らないからです.とはいえ,ばらばらな個人の奮闘で解決がつくほど単純でも容易でもありません.個としての強靭さを備えつつ,同時に属する集団の一員としてどのように有機的なつながりを保って力を発揮できるのかが重要なテーマであると思います.
 私は,真に社会が望む貢献を高等科の卒業生が果たして欲しいと思っています.長年蓄積した閉塞感を打破することができれば,爽快感が伴い,一時的な脚光を浴びることもあるでしょう.しかし本質はさらに向こう側にあると感じます.その風穴の開いた先はおそらく道が平坦でないでしょう.ときには,道そのものがついておらず,あらたに道を作らざるを得ない場合もあるかもしれません.いずれにしても安易さとは一線を画したプロセスが待っているはずです.あの3月11日の出来事から4年を経て,街の復興に,あるいは原子力発電所の事故の処理にどれほどの知恵と労力が注がれ,それでもなお解決へたどり着かないかを見ただけでもすぐに理解できることです.試されるのは,そうした長期間にわたる困難を引き受けるための精神の奥行がどれだけあるか,予期せぬことも含めて様々な問題に対処するための引き出しを心の中にどれだけ備えているかということです.一歩前に踏み出す勇気を持つためにも,そうした精神の奥行や引き出しを備えて欲しいと心から願っています.
 父母保証人の皆様,本日の卒業式には学校法人学習院を代表し,内藤院長をはじめ,耀常務理事,平野常務理事,岩浅常務理事が出席しております.また来賓として内藤櫻友会会長,小堀父母会会長,一條中高櫻友会会長にもこの壇上に列席いただいています.私たち学習院高等科の教職員一同,心からご子息のご卒業をお祝い申し上げます.高等科の3年間において,彼らは確かな成長の跡を残したはずです.そのことは父母保証人の皆様の目から見てもお感じになるのではないでしょうか,ただ同時に,これからさらに学ぶべきことが多くあるとお考えになっているでしょう.私たちは彼らが担う未来に大きな期待を抱きつつ,いつでも可能な助言をしていく所存です.ともに彼らの成長を見守る作業は,これからも続いていくものと考えております.
 卒業生のみなさん,みなさんにとって中学,高校時代はいろいろな思い出が多く詰まった時期だったことでしょう.ただ,この高等科卒業をもって,一つの区切りをつけるときが来たのではないでしょうか.今日でみなさんの子供時代は終わりです.大人になるために扉を開けて,前へ進んでほしいと思います.互いの進んだ方向や歩みのペースは異なっているでしょう.ある局面だけを見るならば,ひとと比較して自分の方が上になったとか,より前に進んだとか,自分だけが停滞してしまっているとか様々な感情をその場その場で抱くはずです.それでも,いつの日かこの仲間たちと作り上げてきたことを確かめ,共感し合える時が来るはずです.みなさんが20年後,30年後,お互いに幸福な人生を過ごしてきたと認め合えるような関係であればと願っています.その意味でも,偶然同級生となったその縁を,ここで築いた人と人のつながりを大切にして欲しいと思います.みなさんが戻ってくる場所は,やはりこの高等科です.長い道のりを歩んでいるとき,ふと後ろを振り返れば出発点にこの高等科が位置していると感じる機会があるでしょう.人生を充実させるための基盤がこの学校を通じて据えられたのであるならば,私たち学習院高等科の教職員にとって何よりも嬉しいことです.
 卒業生のみなさんの活躍を心から願いつつ,私の告辞とします.




H25年度 卒業式

2013年度 卒業式が行われました。

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平成25年度高等科卒業式
科長告辞

学習院高等科
科長 林 知宏

 高等科3年生のみなさん,卒業おめでとうございます.思い起こせば,3年前中等科の卒業式の行われるわずか6日前にあの3月11日の出来事があったということです.当時は混乱の中で,卒業式自体を行うべきかどうか判断に迷いました.結局,卒業生とそのご父母の皆様だけの参加で実施し,当日直前にリハーサルをしました.下級生たちも全く参加せず,来賓の方々を招くこともなく,壇上にただ私一人だけが立っている卒業式でした.その後,高等科の入学式の予定もたたず,ようやく無事入学式を終えた後も,当初はクラブ活動も制限し,下校時刻を厳格に管理する日々が続きました.マスコミの放射能汚染の報道に一喜一憂し,交通機関の乱れを毎日心配していました.日常の学校生活で,当たり前のことが当たり前に行えることがどれほど貴重かを深く実感させられたのでした.みなさんの高等科生活がそのように始まったことは,いまでも記憶にとどまっていることでしょう.あれから3年の月日が経ちました.本日,高等科から新たに迎えた仲間とともに,ようやく本来の姿で卒業式をこのようにとり行うことができることを心から嬉しく思います.みなさんの喜ばしい卒業に際し,私からの伝えたいことを話したいと思います.

 ロシアのソチで開催されていた冬季オリンピックの報道に連日湧いていたとき,まったく別の新聞記事に私は引きつけられました.毎日新聞朝刊2月18日付「ドイツ再生エネルギーの課題」というものです.ドイツでは政治的立場を越えて脱原発の方向でコンセンサスが得られているようです.すでに,原子力による発電量は全体の15%,それに対して風力・水力・太陽光・バイオマス等々の再生可能エネルギーによる発電量は20%以上になっているそうです.しかし,現実がその方向で順調に進んでいくかというと必ずしもそうではありません.すなわち,発電した電気を送電するシステムが十分整っておらず,国が8年間で2800キロメートルに及ぶ新設を計画しました.しかし現実には年に数十キロ程度の実現にとどまっているようです.また風力発電を進めようとしても,建設する地域から景観を破壊されると反対運動にあったり,加えて電力料金が高騰してしまったりと別の難題が次々に待っているというのです.記事の中で,取材した日本の記者はドイツ人から「日本人はすぐに,どうすれば脱原発ができるか」と聞いてくると言われたことが紹介されていました.ドイツでも時間をかけて試行錯誤を重ねている.にもかかわらず,答えだけを性急に求める日本人が現れることに違和感を覚えたのでしょう.この問題が典型的なように,みなさんが進んでいくこの21世紀の前半,日本を含めた先進国と言われる国々は,解決の方法が簡単に見いだせない事柄に取り組まなければならないということです.ただ,違う見方をすれば,そのエネルギー問題のように,世界中が取り組むべきテーマ,世界中の人々が悩んでいる問題は誰もが共有できるということです.それを契機にして世界への扉が開かれる可能性も大いにあり得るのだと思います.

 いま,求められるのは一時的な脚光を浴びる「改革者」ではないと考えます.たとえ閉塞感が打破され,風穴があく爽快感を感じたとしても,風穴があいた後にそこをどのように埋めるかというより大事なことが残るはずです.私は,そうした真に社会が望む貢献を高等科の卒業生が果たして欲しいと思っています.みなさんが進む先はおそらく道が平坦でないでしょう.ときには,道そのものが自分の前についていないかもしれません.道のないところに道をつけていかざるを得ない場合もあるはずです.試されるのは,困難を引き受けるために精神の柔軟さがあるかということです.そしてその柔軟さが一歩前に踏み出す勇気を与えてくれるのだと考えます.柔軟さと勇気,これらをどれほどか備えて,これからの人生を歩んで行って欲しいと心から願っています.

 父母保証人の皆様,本日の卒業式には学校法人学習院を代表し,波多野院長をはじめ,東園常務理事,森田常務理事,堀口常務理事が出席しております.また来賓として内藤櫻友会会長,小島父母会副会長,渡邊中高櫻友会副会長にもご列席いただいています.私たち学習院高等科の教職員一同,心からご子息のご卒業をお祝い申し上げます.高等科の3年間において,彼らは確かな成長の跡を残したはずです.そのことは父母保証人の皆様の目から見てもお感じになるのではないでしょうか,ただ,同時にこれからまだ学んでいくことが多くあるとお考えになっているでしょう.私たちは彼らが担う未来に大きな期待を抱きつつ,いつでも可能な助言をしていく所存です.

 卒業生のみなさん,みなさんにとって中学,高校時代はいろいろな思い出が多く詰まった時期だったことでしょう.教室での勉学やクラブ,委員会活動,校外行事で経験したことは多くあったはずです.ただ,この高校卒業をもって,一つの区切りをつけるときが来たのではないでしょうか.今日でみなさんの子供時代は終わりです.大人になるために扉を開けて,前へ進んでほしいと思います.互いの進んだ方向や歩みのペースは異なっているでしょう.ある局面だけを見るならば,ひとと比較して自分の方が上になったとか,より前に進んだとか,自分だけが停滞してしまっているとか様々な感情をその場その場で抱くはずです.それでも,いつの日かこの仲間たちと自らが作り上げてきたことを確かめ,共感し合える時が来るでしょう.20年後,30年後,お互いの人生を認め合えるような関係をみなさんが保ち続け,学習院高等科がこれからも卒業生のみなさんにとって何かのよりどころとして機能することができればと願っています.みなさんが戻ってくる場所は,やはりこの高等科です.出発点を見定めるためにも,ここで築いた人と人のつながりを大切にして欲しいと思います.この学校を通じてみなさんがそうした人間関係を作ることができたのであれば,それは私たち学習院高等科の教職員にとって何よりも嬉しいことです.卒業生のみなさんの大活躍を心から願いつつ,私の告辞とします.


2010年度卒業式

2010年度卒業式は地震の影響で3年生のみの式となりました。

2011.03.23graduate003.jpg            3年間で最後のホームルーム


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2011graduate.jpg2011.03.23graduate033.jpg2011.03.23graduate044.jpg
卒業証書授与


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各種表彰


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在校生総代のみが出席し送別の辞を述べました。


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主管の先生への花束の贈呈






2009年度卒業式が行われました

2009年度卒業式が行われました


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