学習院高等科 科長
武市憲幸
高等科入学式告辞
「新入生のみなさん、入学おめでとうございます。」
4月7日、君たちにこの言葉をかけて新年度のスタートとなるはずでした。みなさんもご存知のように新型コロナウイルの感染拡大という事態を受けて休校措置がとられ、およそ2か月遅れの入学式となってしまいました。本来ならば、在校生の諸君、保護者の方々、来賓の方々をお招きして式が行われるはずでしたが、感染防止を考えてこのように新入生のみなさんと教員のみの形になりました。時期が遅れたとはいえ、君たちが高等科に入学して、これから生徒の一員として新たなスタートを切るための大事な行事である、と考えてこのような形で入学式を行なうことに至りました。
現在こうして壇上からとはいえ、君たちに直接語りかけることが出来て、うれしい気持ちでいっぱいです。休校期間中、生徒たちのいない学校は、なんとも奇妙で空虚な空間でした。このような状態がこのような期間続くということは私も未だかつて経験したことがなく、とにかく君たちにこうして会うことが出来て本当に良かったと思っています。
とはいえ、今日から新型コロナ以前の日常が戻って来るのだ、とはとうてい言えません。さらに、そのような意識を持つことはきわめて危険なことだと思います。このウイルス自体まだ不明な部分が多く、ワクチン開発にもしばらく時間がかかる、と言われています。一旦状況が落ち着いたかのように見えても、第2波の感染拡大がいつ訪れるか、予断を許さない状況であることは、みなさんもご承知の通りです。学校を再開するにあたって、私たちは、様々な感染防止策を講じて来ました。しかし何よりも大切なのは君たちの意識です。新型コロナウイルスを経験する以前の日常、世界とは違うのだという意識をそれぞれが共有しなければなりません。これからガイダンスなどで学校生活を送るうえで、注意すべきことがらが説明されると思います。どうか自分と自分の大切な人の命にかかわる問題として受け止めて下さい。
私は、5月の初旬、生徒課が企画してくれた「プレ入学式」の中で君たちにビデオメッセージを送りました。その中で、「困難な状況にあっても、他人への思いやりを保ち続けて欲しい」と述べたことを覚えているでしょうか。もしかしたら、なにやら説教くさく感じた人もいるかもしれません。ただ、現在、この「他人への思いやり」ということは、抽象的な「説教」の域を超えた、きわめて差し迫った問題になった、と言えるのではないでしょうか。学校生活においても、今まで以上に「他人」の存在に自覚的になることが必要なのはもちろん、それは、現在の社会全体に問われていることがらなのです。
むろん「他人を思いやる」とは、「他人の顔色をうかがう」ことではありません。自分とは異質の存在である「他人」が、どのように感じ、どのように思うのか、「思いを及ぼす」、「思いを馳せる」、すなわち想像力を働かせるたうえで、思考したり、行動したりするということです。
学習院の教育目標は「ひろい視野」「たくましい創造力」「ゆたかな感受性」という三つのことばであらわされています。最初に掲げられている「広い視野」とは、つまりは、先ほどから述べている自分とは異質の価値観を持つ「人」や「もの」や「こと」に出会うこと、そしてその出会いを通して「自分」自身を鍛え上げていくことである、と私は考えます。
これから通常の授業が行われるようになるまで、まだしばらく時間がかかるでしょう。ただ、ビデオメッセージでも話したように、「できなくなったこと」を数え立てて、嘆いるだけでは何も始まりません。現在私たちに問われていること、対応を迫られていることに向き合い、「できること」に全力を尽くしていきましょう。
3年後、君たちが、高等科を卒業する時に、「ここに入学して良かった。」と心から思えるように、われわれも全力を尽くすつもりです。学習院は、その源をたどれば幕末までさかのぼる長い歴史を持つ学校です。明治10年の開校から数えておよそ150年の歴史の中で、幾度かの試練を乗り越えて現在に至っているのです。確かに現在(いま)目の前に突きつけられている問題はとても大きなものです。しかし、それがいかに困難なことであろうと、君たちと共に乗り越え、歴史を未来へつないでいきたいと考えています。
以上をもちまして入学式の告辞といたします。