1日目
無事全員集合しました。若干眠たそうにしながらも笑いがこぼれます。これから保安検査場に向かいます。
到着です。暑い...。そういえば夏ってこんな感じでした。
沖縄県立博物館
沖縄の自然・文化の今と昔がみえました。
浦添城址は首里城以前の中山王の城址です。そこにある王家の墓は、静かな「夕凪」に由来する「ようどれ」と呼ばれています。最後の中山王の尚寧王は首里城時代の王でしたが、薩摩藩に滅ぼされたあと、故郷の浦添に眠りました。
左の写真がようどれ。内部のレプリカがようどれ館に再現されていました。内部の構造や何人かの王の存在自体にもまだまだ解き明かされていない部分が多いそうです。
ようどれの上にあたる丘は「前田高地」と呼ばれ、先の大戦の際には、日米に多数の犠牲者を出した最大の激戦地でした。
米軍が上陸した北谷の海岸、その後すぐに建設され今は住宅街の中にある普天間飛行場、最初の激戦地の嘉数高台、司令部壕のあった首里城が一望できました。
浦添城址の遺跡の99.9%は戦争によって破壊されてしまいました。
反対に沖縄の中でも最もよい状態て残っている城址の中城城跡。アーチ門が特徴的です。
かつて中城を守っていた護佐丸は、月見の宴を催している最中に阿麻和利に包囲されました。そのとき謀反の疑いをかれられていることを知りましたが、抵抗もせず自害しました。その月見の宴が開かれていたのはこの様な櫓の上かも知れません。一昨日の十五夜に見えたような月を護佐丸も見ていたのでしょうか。櫓から見下ろすと絶景が広がっていました。
ホテルに到着し、夕食です。
テーブルごとの取り分けなのでちょっとした取り合いになってます。
夕食後は国際通りのライブハウスにて沖縄の女性ユニット"ネーネーズ"のライブを観賞。学校では見られない激しい盛り上がりでした。
盛りだくさんの長い1日でした。お疲れ様でした。
2日目
今日の朝食はバイキングです。
朝食後は早速出発。今日も盛りだくさんです。
56年前、宮森小学校を中心とした市街地で起きたジェット機墜落事故については事前学習を行ってきました。本日は当時宮森小学校5年生であった石川・宮森630会の会長久高氏に講演をしていただきました。
講演中、「ミルク給食の時間、生徒におかわりを注いでいると突然...」というお話のタイミングで、上空をジェット機が通る音がしました。恐らく多くの人が、当時を想像して感慨深い気持ちになったことと思います。
平和祈念公園
平和の礎。24万以上の犠牲者といわれるとなかなか想像もつきませんが、その名前の羅列を目の前にすると戦没者たちの想いが押し寄せてくるような感覚があります。
このような絶景の海岸で数々の自決があったとは想像もつきません。
ホテルに到着しました。
ビーチで遊んでいます。ここまでは沈鬱な話が多かった分、気持ちも弾みます。
3日目です。
今日はコース別研修です。
朝食には南国のフルーツが並び、気分を盛り上げます。
伊江島サイクリングコースです。
沖縄ワールド内の玉泉洞の探検ツアー。日本で有数の石灰岩洞窟のより深いところを探検します。下の写真の地点は数百年前に落盤したところとみられます。下の岩はそのとき落下したものです。その上には鍾乳石の赤ちゃんが無数に育ってきています。頭をぶつけて鍾乳石を傷つけないよう、ときには体を水に浸けてに進みました。
午後のガンガラーの谷の散策をしました。沖縄の自然に圧倒されました。本州では見たことのないような植物や、カラフルな虫の宝庫でした。ここ周辺は数千年前から港川原人の居住エリアでした。我々の祖先かもしれない彼らの遺骨はごく浅い地層で見つかっています。彼らも同じような景色を見ていたのでしょうか。発掘調査の現場も見学できました。
夜はバーベキューでした。
最後の夜を目一杯楽しみました。
4日目
朝食を食べて、すぐにホテルを後にします。
午前中は国際通りにて自主研修です。
ガイドさんともお別れです。
空港は修学旅行生でごった返しています。今日だけで3000人の修学旅行生が利用するそうです。
まもなく搭乗です。
飛行機から見下ろせばすばらしい雲海が広がっていました。関東地方の悪天候が心配されましたが、現在は回復しているとこのこと。
無事羽田に到着し、解散しました。お疲れ様でした。
気をつけて帰ってください。